祖父の家出
私の亡くなった祖父の話。
その頃、祖父は呆け始めていたが、息子である父は、「親父は呆けたふりをしているのではないか?」とずっと疑っていた。
親が呆けたことを受け入れられないのではなく、本当に疑っていた。
祖父は、呆けていたけれども、もともと、話がどこまで本当で、どこからが作り話なのかがよくわからない人だったので、言うことが多少おかしくても、それが呆けたからなのか、ただそういう話なのかがわかりにくかったのだ。
それでもある時、祖父は行方不明になり、大騒ぎの末、日本海側の駅で見つかった後、また祖父が勝手に家を出てどこかに行っては大変だということになり、私は祖母からアルバイトを頼まれた。
祖母は外出が好きで、昼間ずっと家にいるのはつらいと、祖母が友人とお茶を飲んだり、買い物したりする間、祖父と一緒に留守番をするというアルバイトである。
当時、私は二十代前半で会社を辞めたばかりで、昼間は暇だった。
そんなわけで、祖父と留守番していたある日、私はふと、祖父に行方不明になった時のことを尋ねた。
「おじいちゃん、どうしてあんなところにおったん?」
祖父は言った。
「この子と出かけたんやけど、途中で迷子になって、探していたら、どこにおるかわからんようになったんや。」
この子、というのは、呆けた後の祖父にずっと見えていた女の子の幻覚だ。
その身長から5歳くらいの女の子らしかった。
私がそれくらいの年齢の頃、よく祖父と出かけていたので、身内の間では、それは幼い頃の私ではないかとも推測されていた。
祖父とその幻の女の子の世界は、いつでも大層楽しそうだったので、私は、呆けるのも悪くないなと思っていた。
祖父の言葉を聞いて、私は「そうなんや。楽しかった?」と尋ねた。
祖父は返事をせず、おもむろに立ち上がり、屈伸を始めた。
「歩けなくなったら、おしまいやさかいにな。」
またやるな....と私は思った。
家に帰って、母にそのことを言った。
「おじいちゃん、屈伸してたで。」
母は用事の手を止めて、こちらを向いて「そうなのよ」と答えた。
「お母さんもね、楽しかったですか?って聞いたのよ。そしたらおじいちゃん、ニヤッと笑ったのよ。それで、ああ、また絶対やるなと思ったのよ。」
私は大爆笑した。
絶対、またやるで、おじいちゃん。
母も、困ったわねえ、と言いながら、けらけら笑っていた。
呆けた人が行方不明になって保護された後に、楽しかったか聞く嫁と孫も嫁と孫だが、祖父は、そういう感じの人だった。
彼が絡むと、どうにも物事はシリアスになりにくいのだ。
笑ってはいけない、笑ってはいけないという時に、笑いをこらえられない愉快な何かが、祖父にまつわることには、発生してしまうのだ。
そして、父は、祖父が亡くなるまで、祖父は呆けたふりをしているのではないかと疑い続けたままだった。
その死に方も、お葬式も、涙の合間に笑い、それもお腹が痛いくらい笑えることが混じる妙なものだった。
祖父はいつでも、みなを笑顔にした。
呆けた後も、祖父の周りには笑いがたくさん存在した。
そして最後まで、祖父はみなを笑わせていったが、それはまた別の話。
*この日記はフィクションです