縁とソウルメイト
英語にはない単語。
縁。
これはもともとは仏教用語。
縁だよね、縁があるよね、の一言で日本人には説明できることは、英語ではなんというのだろう?と考えた時、あ、ソウルメイトが似たような感じかなとふと思った。
日本語のソウルメイトは、ちょっと重たい感じの使われ方をしている気もするが、英語のドラマを見ていると、もう少しカジュアルな感じがするから、そのあたりも似た感覚かもしれない。
縁を、仏教用語だと意識して使うことは日常あまりない。
空間のつながりに焦点を当てれば縁、人間に焦点を当てればソウルメイト、そんな感じかなと思った。
それで思い出したエピソード。
当時、私はブライダルの仕事をしていた。
その日は、披露宴会場の中にいた。
そしてちょうどその時、プログラムは新郎新婦のプロフィール紹介だった。
会場の隅っこに立って聞いたプロフィールによれば、新郎新婦は、どちらも高校生の時に旅先で出会った。
2人は日本の端と端くらいに離れた場所に住んでいて、旅先で一二時間だけ語りあった後、気が合ったので、連絡先を交換した。
そしてその後、数年間文通をした。
まだインターネットは一般的ではない時代だ。
その間、時々電話では話したが、一度も会えなかったらしい。
なかなか会うのは大変な距離だ。
やがて、2人が大学を卒業して就職する頃、新郎は新婦の住む場所に仕事を探すことにした。
新婦に会いたくてたまらなかったのだそうだ。
新婦はびっくりしたそうだが、そこからお付き合いが始まり、そして数年経ったその日、2人は披露宴会場にいた。
見ていて温かいとてもいい披露宴だった。
旅先で偶然出会ったこの2人には縁があるし、この2人はソウルメイトということになるのだろう。
そしてその縁を大事に育んで、ソウル、魂のつながりだけではなく、ちゃんと実際の関係を作ったということになるのだろう。
この2人だけではなく、披露宴では、それ本当?というようなびっくりする出会いをした新郎新婦に何度も出会った。
ドラマよりずっとドラマチックな出会いもたくさんあった。
神がかったようなものまであった。
同じように、会社や友人関係の中というごく一般的な出会いの新郎新婦にも何度も出会った。
SNSで出会った新郎新婦もいた。
縁がつながるきっかけは様々だったけれど、みな同じだったのは、披露宴のその日はキラキラ輝いていたこと。
それから、縁だけではその日にたどり着かなったこと。
2人は結婚するのだから、もちろんソウルメイトということになるのだろう。
でも、縁や魂、それが力を持つのは、出会いまでだと感じた。
きっかけまで。
その後は、どんなに縁があろうとも、互いにソウルメイトだろうとも、関係性を築いていくには普通に相性だったり、関係を育む努力だったりがいるよなあと。
新郎新婦の2人がいつでも輝いていたのは、縁があるからでも、2人がソウルメイトだからでもなく、それを自分達の力や周囲の協力で、やり遂げたからだろうと。
ようするに、出会う人はみな縁があり、出会う人はみなソウルメイトっていうことかしらねと思った。
きっと特別な人のことを縁がある人、特別な人をソウルメイトと呼ぶのではなく、ただ、自分が相手や相手とのつながりをそう思うかどうかという認識の問題だけなのだろう。
自分にとって、相手が特別かどうかは、縁や相手がソウルメイトかどうかではなく、心が決めている。
そう思った。
重要なのは、心だ。
相手を大事にしたい、相手が大事だと思えるかどうか。
関係を育むことができるかどうか。
それが真実かどうかはわからないけれど、その方が人生を丁寧に生きられるような気がした。
*この日記はフィクションです。