君に読む物語*映像というイメージワーク
好きな映画。
ネタバレになってしまうけど、年老いた夫婦のラブストーリーで日記が鍵になっている。
認知症の人が主人公だ。
人生の最後の時期の切なさは漂うけれど、悲壮感はない。
ただただ素敵だった。
老人が主人公の映画を見るのは好きだ。
日本のものはあまり見ない。
理由がある。
外国映画が多い。
イメージが未来を作ることはよく知られているが、イメージワークは、特別なセッションなしでもすることができる。
むしろ、無自覚に行われているイメージワークの方が多いのではないかと思う。
映画やドラマ、映像もまたメタファーだ。
その時、感情が動けば、それは蓄積され、人生に影響を与える。
人生観は、行動にも影響するからだ。
例えば、ちょうど今、オリンピックの季節だが、他人が競技するのを見て、やる気になったりするのと同じ感じ。
自分は競技も練習も何も体験していない。
ただ、誰かが一生懸命な姿を見ただけだが、その見ただけが、明日に影響することがあるように。
そこでは、視覚や聴覚から影響を受けた何かが動いている。
個人のイメージやメタファーは、その人の記憶や経験から作られる。それは必ずしも実体験である必要はなく、視覚から経験したり記憶を作ることでも作用する。
それは、セッションの中だけの話ではない。
むしろ、日常の方が時間が長いので、日常で目に入れるもの、特に感情を動かす作用のあるものは、個人の人生のイメージ作りには大きな影響があるのではないかと思っている。
だからこそ、プロパガンダは映像で行われる。
私が老人が主人公の映画をよく見るのは、それが運良く生きていれば、必ず自分にも訪れる未来だからで、自分の老後に明るいイメージを持ちたいからだ。
イメージは、自分に都合よく、自分の思い通りに、というのはセオリー。
イメージに、わざわざ、問題を突っ込む必要はない。
君に読む物語などは、長く生きなければ味わえないラブストーリーだ。
映像を見れば、感情は動く。
私は、映像から刺激を受けやすいので、そういうわけで、暗い未来をイメージさせるものは見ない。
感情を伴うイメージは、未来を作るから。
イメージは、自分が作りだすものだけが作用するわけでもない。
映像を見て感情が動いたら、それは、無自覚に行われるイメージワーク。
夜見るものは、特にそう。