空気の重みと台所
過去がひとつ消え、新しい今が現れた。
実家の台所である。
私の母は、料理が好きで、子供の頃のおやつも母の手作りが多かった。
外から帰ってくると、母はほとんど台所にいたので、私の記憶の中の母の姿も、台所に立つ彼女の後ろ姿が多い。
私は、偏食がひどい子供で、肉類を血の味がすると言ってほとんど受付けず、また、食べられない野菜もいくつもあった。
魚は食べられた。
(それらは非常に健康的でむしろ好ましい食の嗜好だと小児科のお医者さんは私をほめてくれて、相談した母には心配ないと話していた。ただし、給食は地獄だった。通知表にも毎回、偏食がひどいと書かれた。今はなんでも食べる。)
母は、私が食べられないそれらをとにかく口に入れさせようと、潰したり、切り刻んだり、原型がわからない状態にして工夫してくれていたが、私は、そもそも食べること自体がめんどくさくて、あまり好きでなかった。
私は、食事中に眠ってしまうことすら多々あった。
今でも、私の食は細い。
三食きちんと食べると胃を壊す。
食に対する執着も薄く、お腹が減ったら食べることにしている。
食べる回数が少ないので、痩せすぎないように、食べる時は、できるだけカロリーが高いものを選んで食べるようにしている。
健康な食生活をしようとすると、まず食事量で胃を壊し、量を適量にすればカロリーが足りず、私は痩せすぎることになる。
ちょっとでたくさんカロリーが取れるものが、私の理想。
頭がぼ〜っとしないように、最近、悪者になりつつある糖分は意識的に取るようにしている。
というわけで、私は、ここでも、マイノリティ。
気づいてないだけで、似たような人は、多分、潜在的に割といるんじゃないかと思っている。
ちなみに、私の血は、サンプルにしたいくらい綺麗だと、血の検査では言われる。
(ただし、あなたの食生活は、あなたにあっているのであって、ほとんどの人はあなたより量を食べるので、他の人にあなたのやり方を勧めないようにとも言われる。)
さて。
母は、箸使いや食器あしらい、姿勢にうるさかったので、子供の頃、私は食事の時間そのものがあまり好きではなかった。
叱られてばかりいたからだ。
背筋を伸ばしなさい、お箸の持ち方が違う、食器のあしらいが違う。
よその家は知らないけれど、あの時代は、どこの家にもそういう風景はあったのかもしれない。
私にとって毎日の食事の時間は、団欒というよりは、なにかの修行かトレーニングの時間のようだった。
(私自身がそこに価値を認めなかったので、まともに身についたのは、お箸の持ち方くらいだった。)
それらの記憶を持つ場所が、消えた。
そして、真新しい台所が現れた。
なんとまあ、空気が軽くなったことと思った。
心の中の空気が。
過去の重みは、視覚も関係するのねえ、、、としみじみした。
とすると、毎日見るものからも、心の中は影響されているなあ、、、。
いうならばそれは、今の重み。
ま、ちょうどいい重みなら、重みは悪いことではない。