^_^*連鎖反応

^_^


↑これ。


私は打った覚えがない。
すでにこの顔文字だけの状態で、一度アップしたあとがあったので、残しておくが不思議なこともあるものだ。

ブログを書きながら、書いていることと違う案件を考えていて、一度、書く手を止めて戻ってきたら、見覚えのないものがアップされていた。

顔文字が、考えていたことへの自分からの回答のような気がした。
それがいいよ、そうしよう。


...........

ブログを自由に書く、だから、フィクションにすると決めそうした後、私の中で、連鎖反応が起きている。

ブログを書く行為は、一日の中のわずかな時間だが、私の毎日に関係している。
毎日、必ずすることだ。
これはシェアするものではないとよほど感じるものを書いた時は、アップしない日もあるが、書かない日はない。

毎日に関わるそこを触って変化させたことは、思ったより大きなことだったらしい。

セッションの仕事のとき、私は主に、クライアントの言葉の中から小さな鍵を見つけようと耳を澄ます。
クリーンランゲージをしている時も、そこは探す。

無意識に語られる小さな鍵。
口癖だったり、クライアントの話の進め方のパターンだったり。小さなことに鍵があるかもしれない、と。
現実的で表に出ている部分。


クライアントは、小さな鍵があるかもしれないと話すと、そんな小さなことと半信半疑の反応をするが、まさに今、そんな気分。

ブログが鍵とはまさかね。


ブログを小さく変えた後、自分が自由に動きにくいと感じていたことが、わんさか浮上する。

私は別段、それらに不自由は感じていなかったが、自由は感じていなかったということに気づいた。
自由を感じないと不自由は別のようだ。

そうして気がついてみれば、だから進まない、という物事がいくつかあった。
自由を感じていない、だから、進まない。

人の価値観は様々だが、私の中で、自由を感じるかどうかは、本当にものすごく大きく必要なことなんだなと理解した。

思ってるよりさらにずっと。

頭の中が自由でいられるかどうか。


進まないいろいろの鍵を、ブログが握っていた。
そういうとき、何かあるから進まないと考え、だいたい無理に進めようとはしないので、進まないなと考え続けることになる。

だいたい小さなことが鍵。
そして、無関係に思えることが無関係ではなかったりする。
思考のつながりは図解されない。
どれとどれがつながっていて、どのように関係してるかは、誰かが尋ねでもしない限り、わかりにくいなと。

あくまでも、私の場合だが。
わかる人はわかるのかもしれない。


ブログについては、自由に書くと決めそうし始めた後、書く作業に使う時間の縛りが外れた。
10分ルールが自然に撤廃された。

時間があるなら、好きなだけ、に変わった。
時間がない時は10分で。

それから、一日、何本書いてもいい。
空いているなら、一日中、書いていてもいい。

時間と本数に自由が生まれた。
どうして今までそうしなかったのか?と、不思議な気分になった。


これもだいたいいつでもそうだ。


さ、^_^のことをしよう。


*このブログはフィクションです。