世界の二極化
世界が二極化すると言われ始めてから久しいが、私の家の近所でも二極化が起きている。
舞台はコンビニ。
どちらも人通りがあり利用者が多い場所にあり、立地条件は似たようなものだが、片方は駅前にあり、やや有利。
どちらもメジャーで全国展開している。
ひとつは、店員さんが全員感じがよく、雰囲気が明るい。
もう1店舗は、どうしたことか、全員感じが悪い。
駅前にある有利な方のコンビニが、感じの悪い店舗。
店員さんの入れ替わりが激しい。
もうひとつのコンビニの店員さんはニコニコしていて、よく来る顧客を記憶していっている節もある。
私は、たまに顔なじみのおばちゃんの店員さんと冗談まで言って笑う。
海外ならいざ知らず、日本のコンビニで店員さんと会話するなんてことは、まあないが、そこのコンビニではそれが起きる。
この場合の二極化は、感じいいコンビニと感じ悪いの二極だ。
あまりに対象的で興味深いので、私はどちらも利用して観察することにした。
私は、なんでも観察するのが好きだ。
ほとんど趣味の領域。
観察研究対象は、日常の小さなことが多い。
それで、観察している中で、二極化とは、存在としては、同じような場所にあり、だけれども、コンビニの別々の店舗のように交わることはない、そういうこと?と思ったのだった。
同じような経験をする、だけど、中身が違う。
両者は交わらない。
互いに互いは見えている。
で、この場合。
もう片方に行きたいと思ったら、自分が場所を動くしかない。
場所を変えるは一苦労。
自分が動く方が簡単だ。
例えば、感じの悪いコンビニの店員さんが、雰囲気のいいコンビニで働きたいと思うなら、今いる店を辞めて、感じがいいコンビニに面接にいけば、簡単に世界を移動できる。
買う人は、自由に店は選ぶから、感じのいいコンビニの方が、なんとなく利用者が多い気もする。
店の明るさまで違う気がする。
(もしかしたら、単に電球の明るさが違うだけかもしれない。)
そして、このなんの役にも立たない観察の結果、起きたこと。
私は、どちらもの店で、猫のえさを買っていた。
たまたま買ってみたコンビニでしか販売していない猫のえさを、うちの猫が気に入ってしまい、あれちょうだいとねだるからだ。
やがて、どちらの店も、明らかに私が買う猫のえさが山積みになっていった。
他の種類の猫のえさと明らかに置いてある量が違う。
それで、もう観察は気がすんだのだが、猫のえさを大量に仕入れてくれたのが申し訳ないので、結局、どちらもの店で買い物をすることとなった。
どう見ても、自分しか買っていない。
そりゃそうだろう。
近くにホームセンターも夜中まで空いてるスーパーもあり、わざわざ猫のえさをコンビニで買う人は少ないと思われる。
両方の店を使う、これは、いわば、二極の間を自由に行き来するという選択で、ああ、感じ悪!と思ったり、小さなコミュニケーションに笑ってみたりしている。
きっとこのように、片側の極だけをぱっきり選べないことも人生にはあるのだろう。
猫のえさ的なしがらみで。
または、片側だけを選びたくないこともあるのだろう。
まあ、もっというと、第三極のホームセンターとかもあるんだけど。
ややこしくなるから、それはなかったことにしよう。
これは、気づかない、という選択である。