影響を与えた言葉*がんばる

少し前、誕生日の次の日に、以前の勤務先の社長から、お誕生日おめでとうとメールが届いた。

彼は冠婚葬祭、誕生日を大事にする律儀な人だ。
20才の誕生日から、毎年、彼から電話がかかってきて、やがて、それはメールの普及と共にメールに変わった。
そして、ある年、彼が一日、私の誕生日を間違えて、それ以降、誕生日の次の日にわざとメールが送られてくるようになった。

私が会社を辞めて10年経つが、今年も、楽しい誕生日だったかい?とメールは届いた。

私と彼の関係は、普通の上司と部下よりは少し濃いかもしれない。
私が最初に会社に入った時、まだ会社が小さくて、上司は彼しかいなかった。

毎月、東京から彼はやってきて、若い私が発狂しているのをなだめた。
よくまあ、そんなに怒れるな、それは君のいいところだね、と毎回、淡々と言われた。

私は二度、同じ会社に就職しているが、二度めに就職した時、会社は少し大きくなっていた。
しかし、私は、やはり、彼に、あれがおかしい、これがおかしいと訴え続け、お前は馬鹿かとよく言われた。
同時に、君の一番いいところは、本気で怒れるところだなと言われた。

僕は優しいからさ、といつもその後に笑いながら続いた。
そんなこと知るか、といつも思っていた。

社会人としての自分を育てたのは、間違いなく彼で、もうひとりの父親みたいな感じかもしれない。

実際、彼は、呼んでないけれど勝手に参加を決めた私の結婚式で、誰よりも嬉しそうにして、誰よりもたくさん写真を撮り、私の夫に、深々と頭を下げながら、よろしくお願いします、と言って帰っていった。

彼が、お前は馬鹿か、と言ったことの中で、その後、大きく影響をして、今も、若い間にあれを教えておいてくれてよかったと思うことがある。


その日、確か、一年に一回の面談の日だった。
私がいた会社は年俸制で、毎年、社長面談で翌年のギャラが決まっていた。
査定はその前に終わっていた。
今はどうなのか知らない。
社員の人数が違うのでわからない。

一年の報告をした私に彼は言った。

「俺ね、しばらく、みんなから聞くんだよ。
がんばりましたってね。
それね、俺にしたら当たり前なわけだよ。
がんばらない意味がわからないだろ?

給料払ってるんだからね。
君は楽でいいね。
お前だけが、がんばりました、と言わない。
お前だけが、自分の部下がいかにがんばったかということと、自分が来年やりたいことを言う。

そして、お前だけが、
頑張ったねと褒めてくれる必要はない。
それは当たり前だ。
褒めてくれなくていい、評価はお金で返してくれ、と言う。」


彼は笑った。

みんながお前のように、これはビジネスだと気づかないことを祈ると。
経営者からすれば、褒めればすむなら安い話だからねと。


この人は自分が言ったことを忘れたな、と私は思った。

私が、頑張った!と訴えないのは、お前は馬鹿かとそれ以前に叱られていたからだった。

こんなに頑張ってるのに!と、ある日言った私に、彼が言ったのだ。

「お前は馬鹿か。
評価は自分がするもんじゃない。
君が頑張ってるかどうかは、会社が決める。
評価は他人がするもんだ。
自分が頑張ってるかどうか、考えてる時間があるなら、もっと他に考えることがあるだろう。
お前はひまか?
せめて、今、頑張ってないことについて考えてくれ。」

当時、目の前には、問題が山積みだった。
クライアントに怒られ、会社に怒られ、まあ、山積み。
私が10人欲しいと思っていた頃。
(自分が10人、そんな世界はよろしくない)


ともかく、彼がそう言ったので、私は、自分は頑張ったと言うのをやめたのだ。
思うこともやめた。

頑張ったを訴えることは一銭にもならない、と思ったのだった。
頑張ってないことは、未来で、一銭にはなるかもしれない。


自分が頑張ってるかどうか、気にしなくなったことは人生を軽くした。
つまりそれは、他人の考えるべきことを、自分の頭を使っていることと知り、自分の時間を捨てていることだと知ったからだ。

私が考えなくていい。

実際、その後に気がついたのは、頑張ってる基準が人により全く異なることだった。


そして今も、仕事については、自分が頑張ったかどうかは一切気にしない。
仕事については、頑張ってない人はいない、というスタンスでいる。

自分が、頑張れない時は理由と、どうやれば頑張れるかを考える。
頑張った自分は過去にいる。
ケアは必要ない。

頑張れない自分は今にいる。
ケアするべきは、過去でなく今。

だから、頑張れない自分がいる時は、それは尊重し、ケアする。


彼のおかげだと思っている。