さっきの続き

 さっきの話と少し関係するけれど。


私は、自分以外のクリスチャンのことを、知ったこっちゃねえと考えている。


どうしてかというと、クリスチャンの定義では、クリスチャンは、ジーザス(が寄越したホーリースピリット)が助けてくれるということになっているので、最もほっておいていい人々だと、私は考える。


何か一緒にやる時は話は違うが、ただ信じるものが同じという理由だけで、クリスチャン同士でつるむのが、私は好きじゃない。


私がつるむのは、ジーザスだ。


人間については、別に、相手が何を信じていようと、自分と気があったり、志があったり、面白かったりすればそれでいい。

相手の信仰は関係なく、魂より、心のつながりを、私は重視する。


クリスチャン、というのも、また抽象概念にしか過ぎないと思うからだ。


私の信仰において、そこにいるのは、自分とジーザス(と、ジーザスの寄越したホーリースピリット)と聖書だけなので、他のクリスチャンは割とどうでもいい。

相手がややこしくて、自分に迷惑がかかる時だけ、なんとかしようとはする。

つまりなんとかなることが、自分の望みになる時だけ、私は、クリスチャンのために祈る。

自分が望まないことは、祈れと言われても祈らない。

賛美ですら、この賛美、好きじゃないと思えば歌わない。



自分というクリスチャンから目を離し、クリスチャン全体について考えはじめた時、なんか変なことになるということを、変だったことで教えてくれたおっちゃんUさんに、私はすごく感謝している。


私の世界観の中では、自分の信仰にはジーザスと自分しかいない。

人間の姿は、そこにない。