未来はこうなりますという思想

 ほんまか?と疑ってみるのは大事なこと。

そして、自分の頭で考えて、判断するのは大事なこと。


大人になると、これができるかできないかで、特に、仕事は変わってくる。

使われる人から脱却したいなら、これは必ずできる必要があるが、不思議なことだが、これ、私たち、特に、公立の小学校、中学校に通っていた場合は、最初から、その逆を学校で教わる。


不思議なことだが、私立の学校は、違うやり方で教える。

考えさせるように教える。


私は、どちらの小学校にも通った経験があるが、やり方は正反対だった。

不思議だな、なんか違うと、小さな私は思った。



教科書に書いてあることは、全部、正しいこと。

だから、それを覚える。

自分の意見を考えるのではなく、覚える。


算数や理科はそうかもしれない。


思想に関わる科目、国語や社会も、解釈を含めて、覚えることを中心に教わる。



過去はそこまで。



思想的なことで、「未来はこうなりたい」ではなく、「未来はこうなります」と書かれたものが登場したら、少し注意が必要だ。


こうなりたいは問題ない。

こう目指そうも問題ない。

けれど、こうなります、は、「こう」を起こしたい何かや誰かが、意図的にコントロールしようとしている可能性がある。


私が、二極化の思想に?マークがついたのは、最初はそこだ。

やがて世界は二極化します、と、言い切っていたからだ。

(最初のソース、つまり言い出しっぺは、多分ここだろうというのは調べた。割と人気があるソースだ。)


思想は意識を生む。

意識はやがて現実を生む。


それは、個人においても、社会においても同じだ。


個人と社会が違うのは、社会にその思想や意識、それにともなう現実を起こそうとする時には、ひとりでは無理なことだ。

より多くの人が、そのように意識し、それに基づいて行動する必要がある。


この作業は、意図的にできる。

啓蒙と呼ばれるものだ。


だいたいの場合は、何か現実の行動を使ってそれはされる。

これは、割と安全。

行動する時、人は考えるから。


日本の最近の話だと、レジ袋有料化がわかりやすい。

これ、自由に、みんな考えている。

そういう意味では、日本政府は、割とまとも。



気をつけなくちゃいけないのは、そして、それが本当に幸せや豊かさに繋がらなかったとしても、気がつかない間に、何かを選択し、戻れないところまで人を運ぶのは、思想と意識だけで、それを人に植え付けるタイプのものだ。


プロパガンダと、それを呼ぶ。

だいたい、人の潜在的な不安や恐れ、嫌悪や欲をついてくる。


人を巻き込むには、それが早い。

古くからある手法だ。



二極化は、まだ、起きていない。

それなのに、起きる、と断言されてる。


私は、二極化を起こしたい何か、または、誰かが、二極化については、情報を発していると考えている。


よく考えてみて。


二極化したい?

二極化が起きて欲しい?


自分さえ幸せなら、それでいい?

自分さえ豊かなら、それでいい?

自分の周りにだけ、喜びや恵みがあればいい?


二極化するかどうかは、選べる。

選べるということがわからないようになってるだけ。


そして、悪魔のささやきは、いつでも甘い砂糖菓子のコーティングがされている。


二極化を別の言葉で言うなら、分断だ。


私はNOだ。