責任のはなし

朝、目が覚めた瞬間の私は、一日の中で一番賢く、一番直感的で、一番純粋だ。

これが一日中持続したなら、私の人生は違ったことだろう。

でも、持続はしない。


それが、私。


さて、今朝目が覚めて。


賢い私は、次に考えてみるテーマは、「責任」だなと思った。


義務とごっちゃになってる感もあるこのことばは、けれど、責任であって、義務ではない。


私が自分を使いながらやってみていることは、願いを叶えたり人生を創る中で、「技術的(思考法とかハウツー)にどうこうすることじゃないから、誰も教えてはくれないけれど、確実に、それは関係してるし、なんなら技術的なことより、根本に関わるから影響は大きいと思うよ」と、私がセッションを続けてきたり、人を観察したりし続けた中で感じたことだったりする。



責任は、面白いテーマでもないから、後に来たけれど、願いを叶えていくには重要パートではある。


そろそろ、本題に入ろうかという感じでもある。


そうそう、今、同じことをやっている人はたくさんいるけれど、私がやってみてることの中のひとつには。


人生を変えていくため、よりよくしていくためのツールとして「エンターテイメントの占いは使えるかもしれないが、エンターテイメントではないふわふわしたお花畑のスピ系は使えない」ということを、そうは言わずに、やってみてるとこもある。

書いちゃったけど。


エンターテイメントの占いには存在して、エンターテイメントではないお花畑のスピ系にはないもののひとつに、この、責任の話も関係してるような気がしている。



ついでに、エンターテイメントとしての信仰があると、私は最近気づいたけれど、エンターテイメントとしての信仰にないものも、この責任の話のような気がしてる。

その場合、多分、精神的な効果しかでないんじゃないかもしれない。

みてる限り。



責任は、足を地につけるにあたり、非常〜に大きな要素だと、私は思う。

また少し、哲学の本をおさらいに行こう。