ジーザスが呼ぶの巻

ジーザスは呼ぶ神さま。

(だからね、別に、他人にはすすめないの、私。ジーザスが自分で声をかけるから。その人とジーザスが、自由にやりゃいい。)


こっちにおいで。

ついてきてごらん。

見せてあげるから、おいで。



私は、最初から、ジーザスに精神的、心理的救いは求めてなかった。

救われていたからだ。

すでに、たくさんの人たちが、私の心を救ってくれていた。


教会に通い出した後も、精神的なスタンスはあまり変わっていない。

行動は少し変わったかもしれない。

人を手助けすることに、躊躇が全くなくなった。

体が勝手に動く。


ああ、変わったとしたら、私は、以前よりさらに自由になった。

ブログも好き放題、好きなことを好きなように書くようになった。

少しばかり存在した、なんか怖いなが、消えた。


それから、なんかよくわからないけど、さらに守られてるねえという感じの流れになってきている。

ごちゃごちゃめんどくせえなということは、そう思えば、自分が動くまでもなく勝手に誰にもいいように、話が動く傾向にある。

私は、最近、めんどくさいなと思うことに躊躇しなくなった。

私がめんどくさいのは、争いだ。

時間の無駄。


(家庭内には介入してこない。夫には、自分で言わなきゃ、ジーザスは何にもしてくれない。ジーザス、我が家に非介入。もめたきゃ勝手にもめろという感じ。笑)



それから、人ってなんて温かいんでしょ!と思う回数が、さらに増えた。


私が教会の人と会うのは日曜日だけだから、そう感じるのは、主に教会の外での話。


胸がポカポカしてる。

今日は火事だけど。



それで、さっき、熱いな、なんやもうと思っていたら、不思議なことだが、「で、ついてくる?」と、ジーザスが改めて聞いてきた気がした。


一通り見たでしょ?

いいことも悪いことも。


けど、僕と君の間では、何も悪いことは起きなかったでしょ?

僕、なかなか信頼できると思うんだけど。


ついてくる?



ジーザスは、しゃべりはしないが、なんかそんな感じ。



そしてそれから、私は、なんか似たような話を読んだな、聖書のどこかに似たような話があった、どこだっけ?と思った。


忘れちゃった。


聖書は、昔ばなしではないらしい。


火事みたいな話、どこだっけ。。。


探すのはめんどくさいから、次の日曜日、聖書辞典のおっちゃんUさんに聞こう〜っと。