虹からはじまったものがたり

事の詳細は省くけれど、私は、実家の家族を日に日に、どんどん、愛おしいものに感じはじめている。


私の実家の家族が置かれはじめた状況は、報道では、悲劇的だったり、困難として扱われることが多い。

実際そうなことも多い。


けれど、きっと、私の家族だけでなく、きっと、今、私が感じはじめているみたいな感覚で、それを経験する家族も沢山あるのではないか?と、私は思った。

ネタにならないから、記事にならないだけで。


(けど、それ違うんじゃないかと、最近、少し感じている。

なぜなら、ものがたりは力を持つ。

想像するなら、希望のある話の方が、役に立つはずなのだ、理屈としては。)



少しばかりの切なさと一緒に、溢れんばかりの豊かさがあるというか。

全員が、全員の持つ優しさを放出しはじめたというか。

互いを労りあいだしたというか。

そして、やたらと全員ケラケラ笑う。

空気が軽い。

悪いもんじゃない。


それはきっと、ずっとそこにあったのだろうけれど隠れていたものに、光が当たりはじめたみたいな感覚。


非常に豊かな時間だなと思う。


そして、今日という一日の価値は爆上がり中だ。

なぜなら今は今だ。

今は長くは続かない。


輝く瞬間はいつでもそうなように、キラキラした時間は、長続きしない。

残念ながら、それは知ってる。

若くないから。


それでも、私は、長い時間をかけて、いろんなことを乗り越えてきた先に、この時間が存在したことに感謝する。


今から、私は、宝物をたくさん手に入れる。

小さな私が、中学生の私が、高校生の私が、大学生の私が、二十代の私が、欲しくて欲しくてたまらなかった宝物を手に入れる。

それは、両親にしか、私に与えることができない時間だ。



私だけが幸せになり、私だけが救われることを、私は望まなかった。

家族ごと、それが欲しかった。

家族というチームを癒したかった。

私は、ちゃんと、自分がそれを望んだことを最近知った。


長い長い時間がかかったけれど、ここまでたどり着けたことに、それから、たくさんの人が協力してくれたことに、心から感謝する。

ひとりでは、無理だった。


もう、ひとりひとりに、頭を下げて回りたい気分。

気味悪がられるだろうから、しないけど。笑



もはや別物の家族。


本当に、出会いと人に恵まれ続けたことに、感謝する。


そして、それを、父が、私の願いが叶うのに必要だった最後のピースをはめ、父と母が、人の願いは必ず叶うことを教えてくれたことに、感謝する。



.......


さて。


私は、「火力発電所」の話が、どこまで遡るかに気がついた。


話は、20161月にはじまっていたこと。前のブログを綴っていた頃から。

4年前の1月、私は、家族と離れ、ひとりアメリカでお正月を過ごしていた。

以前のブログに、綴っている。


https://infosalondey.blogspot.com/2016/01/306.html?m=0



その10日ちょっとの日々に、自分が口にしたことを読んで、私は、吹き出した。


なぜ、クリスチャンなのか?

なぜ、すでに神さまには馴染みがあったのに、わざわざ、クリスチャンだったのか?も、そこで納得した。


私のニーズを叶えるのは、キリスト教だったから。

ブログに全ては書いていないけれど、私は、あの10日間で自分が口にした言葉をよく覚えている。


友情、愛、希望。ミラクル。

おい、聖書か?という並びだ。



その日々の中で、あの時生まれたリソースの象徴がある。

胸にあるランプだ。


そのランプは、人に貸せる。

人を照らせる。

希望だ。

私は、胸にそのランプがある時、I am the hope.だと言った。

私は、希望、と。

それが、アウトカム。


火力発電所が生み出すものは、笑いだけではなく、そこには、希望、温もり、愛、優しさ、友情など、さまざまなエネルギーが含まれることを、私は理解した。


つまり、何が起きたか?


ジーザスが、私の願い、希望のランプでありたいという願いを、よりいいものにして、叶えてくれたと私は理解した。


ジーザスだと思う。

だって、当時の私の英語力では、不可能だった旅は、そのあと友達になる、そこで出会ったアメリカ在住のひとりの日本人クリスチャンの女性のおかげで、成立したと言ってもいいくらいなのだから。


そのあと、もう一度のアメリカとイギリスも、彼女は一緒で、私を助けてくれた。

彼女は、私を助けるために、わざわざ日本にも来てくれた。


そして、彼女を見て、私は安心してクリスチャンになれたのだから。

またいつか一緒に旅ができる日を楽しみにしている彼女が手を引いてくれたのだ、と、私は思った。

彼女が、人を助ける時はこうやるといいと、私に教えてくれた。


彼女はジーザスと口にはしたが、自分の信仰の話はほとんどしなかった。

彼女の信仰を、彼女は行動で表していた。

ジーザスが、私に、見せたのだと思った。


そして、そして、といくらでも。


そして。


よくできた話だ、ブログにでも書いてなければ信じてもらえなかったと、私は思った。


ジーザスの仕込みはすごい。笑

私がやがてクリスチャンになることを知っていたかのような。


このミラクルのものがたりは、虹、で始まる。


できすぎや。


「僕は風と火が使え、奇跡を起こせる、願いは何でも叶えてあげるのが、よくわかっただろう?信仰の薄いものよ。僕の望みは、君の願いが叶うことだ。君が幸せでいることだ。そのためになら、いくらでも奇跡を起こすよ。誰のためにもね。」


ジーザスが優しく笑った気がした。