今起きていることの現段階での考察
「罪を人生を滅ぼす問題として扱わず、人生をより豊かにするリソース(資源)として扱う。」
胸が熱いを表すシンボルのメタファー表現の変容が教えてくれる私の思考の変化。
今、私の中で起きているのは、多分、こんな感じのこと。
そして、私は、他人の尊厳を尊重しないことは罪だと感じている。
日曜日にSさんの話を聞いて湧いた居心地の悪さは、罪を犯す話を聞かされたからだろう。
他人を救いたいという善の概念の衣をまとった罪。
そして、私の胸が熱くなったのは、それを許さない私の罪が焼かれたからだろう。
ジーザスが私が罪を犯すのをストップさせに入ったのだろう。
許さないことはまた罪である。
「あなた方の中で罪を犯したことがない者が、(罪を犯した人に)石を投げなさい。」
何を罪と思うかはまた個人の思想に過ぎない。
キリスト教神学における罪の定義は知っているけれど、それは抽象概念で説明されているから、やはり理解は個人個人になる。
燃やされながら、火の中で生きる。
火をエネルギー源として使いながら。
こりゃ無敵だと、私は思った。
私は弱っちいけれど、火は絶えることはない。
そして、「何が起きればいいのでしょう?」「すると次に何が起きる?」というクリーンランゲージの質問が、もはや言語化されないままで、自分の中で動いていることに私は気がついた。
キリスト教はメタファーの世界だから、相性がよかったのかもしれない。
メタファーの変容は。
胸が熱い(熱いが感覚のメタファー的表現で同時にメタファーの特徴。胸はメタファーの場所)→火事→キャンプファイヤー→火力発電所。
身についた、と、私は思った。
そして、さあ、今からだと思った。
火力発電所、で、無敵。
すると、次に、何が起きる?