第六感より五感
今からは、第六感って、古い感覚になっていくんじゃないか?という話を、最近、なんどかした。
面白いのは、その話をしているのが、私もそうだけれども、主に、自分の直感やひらめきを使って仕事している人たちということ。
そして、あ、やっぱり?と、似たような感覚を、自分だけじゃなくて、他の人も感じてること。
五感。
誰でも体感として感じる五感、ここからは、主役はこっちじゃないか?と、みんな(話をした人みんなという意味)言っていた。
第六感でわかるんじゃなくて、五感を伴う自分の思いとして、それを理解するんじゃないか?というはなし。
第六感よりも、五感が優れているのは、五感は肉体が伴う範疇で感じていることだから、その思いが現実化しやすいことだ。
あ!と体感を伴わずに感じる第六感ではなく、それがすでに、五感を伴う意識に変換された状態で認知できる方が、実際のところ、便利だ。
カタチにしやすいから。
第六感や直感と呼ばれるものがなくなるということではなく、認知として、五感を伴う認知がより優位になり意味を持つというか。
なんせ五感は重要だという話を、最近、非常によくする。
五感は賢い!と、私はあらためて感心している。
あんまり、まだ頭がよくまとまってないけど。
人間は人間でいいのよ的な。
知らんけど。
ちなみに、ホーリースピリットは体感を伴う存在なので、それで私は信じている。
科学的にはいったいこれが何なのかはわからんけど。
温い。
私は、もう一年ほど、自分の直感を使っていない。
それは、ホーリースピリットにまかせている。
特に仕事は、私はただ、胸が温かさを頼りに思考している。
自分の思考に胸の温もりが伴えば、それは正解。
個人比だが、以前より確実に仕事のクオリティが上がっている。
便利。