Moving from playing safe myself to taking a risk

なんとなく英語。
こういうのは英語が言いやすい。
さらっと言える。

タイトルは、自分の安全を守ることから、思い切ってやってみることへ移行すること。
失敗するかもしれないリスクはあるけど。

人によっては、簡単なことだが、人によっては難しい。
私にとっても、ある時は簡単だが、ある時は難しい。
失敗するのは慣れているのでさほど怖くないが、私にとってのリスクを感じる時は。
失敗は、私にはリスクではない。
私は、失敗は、うまくいく途中の過程だと捉えているから。
私にとっては、別のリスクがある。


それでも、光る道を感じた後、ここから先は、あることを思い切ってやってみるしかない、それをするしかないと感じはじめた。

そして、それをやってみた。
それは、具体的な何かではなく、やり方だ。

すると、リスクはないよ、と仕事のパートナーでもある友人が教えてくれた。
それができるから、私は、あなたと組んでいるのだから、とその友人は書いてくれた。

私が、自分はそのやり方ができるのにそれをやらなかった理由は、そのリスクを恐れたからだが、そのリスクは幻のリスクだったのだと、私はその時知った。

そして、安心を感じた。


それから、私の中の固定概念がひとつ、さらさらと砂の城が崩れるみたいに崩れた。

そして思った。

リスクを冒す、という思考回路自体が必要ないなと。
危険はない。

私にとっての危険という意味。


私の後ろに伸びる光る道の中で、私がしたことは、勇気の足りない自分が、勇気がなくてもチャレンジできるように、勇気の代わりになるリソースを準備することも含まれていたのかもしれない。


勇気は、時間を短縮するねえ、と思った。
でも、なかったんだから、仕方ないね。
代わりのものを用意するしかなかったね。
私が好きなもので、勇気の代わりに、勇気の働きをしてくれるもの。

私に、チャレンジへの安心感をもたらすもの。
気持ちをふるい起こすのでは、私はチャレンジしない。
お尻を叩かれてもチャレンジできない。
安心した時、私はチャレンジできる。

個性は人それぞれだ。


私は、ひとりは好きだが、孤独は嫌いだ。
私にとって最大のリスクは、孤独だ。

家族は時に心の底からめんどくさいが、それでも私が家族と生き、家庭を持つことを選び続けたのも、めんどくさい方が孤独よりましだったからだろう。
人の温もりが私には必要なのだ。


友人が書いてくれたのは、ここから、私の周りには温もりがあるということ、私のそのやり方を貫いて欲しいと仕事相手として友人は願っているということだった。


そしてそれから、私はなんとなく、30代はじめの頃に、父に言われたことを思い出した。
父と私は向かいあって、何かの話をしていたのだが、父はついでにと言って言った。

彼は、まともなことは、ついでに言う。

父はその時、脈絡なく、突然言った。
私が仕事で悩んでいるのを見抜いたのかもしれない。
彼は勘がいい。

父は言った。

ビジョンがあるなら、他人を一切気にするな。
評価を一切気にするな。
ビジョンは未来だ。
評価は、未来にある。今にはない。
評価は、後からついてくる。
ビジョンがある時は、理解者を探すな。
理解者を作れ。


私の後ろに伸びている光る道の中で、私がしたことは、自分を理解してくれる人達と出会うこと、その人達と関係性を育むことだったのかもしれない。

出会えただけでは、関係性は育たない。
関係性は、育てる必要がある。

それは、また、私のビジョンが、ひとりの力ではなし得ないものだということだろう。

本当に無力なのだ、私は。
でもねえ、無力だったから、今ここにいれるんだと思った。

無力という力のおかげで。
それは、無力感は産まない。


そして、無力だから、リスクがないんだと思った。
私が、失敗や傷つくことが怖くないのはただ、失敗することや傷つくことに慣れていて、そして、いくらでも自分は立ち上がることを今では知っているからだ。
別に根性があるわけではない。
単に慣れだ。
数をこなせば誰でも慣れる。
傷つけば癒せばいい、失敗したら立ち上がればいい。
慣れているものは恐怖ではない。



そして、質問は、人を助けるが、また、その人がその人の言葉として語ることも、同じように人を助けるねえ、、、、と思った。

父や友人が語ることを思い出して、リスクはもうない、と思った。