お金で買えない好きなもの
ほとんどのものはお金で買える。
愛情すら買えるかもしれないけれど、私がお金では買えないと思っているのは、信頼関係だ。
それで、私は、そこを築くのにかける時間を非常に多くとる。
手間と時間がかかるが、この作業が私は好きだ。
一番最初にその作業をしたのは、自分自身とだった。
二十代半ばだった。
そこまで、自分がする言動のせいで、自分が困るはめになることが、私は非常に多かった。
衝動的な行動や、思っていないことを言う発言から巻き起こることに、自分が困った。
誰が信じられないって、自分だった。
なぜ、なぜ、なぜ?
自分に関するなぜオンパレード。
選択ミスの多いこと。
二十代半ばのある日、その頃、私は真っ暗な中に小さい蛍みたいな希望を見つけた時期にいたけれど、その日、私は決めた。
もう、自分を裏切らない。
私が私を苦しめるようなことはしない。
私が私を傷つけるようなことはしない。
私は、私を裏切らない。
人生がうまくいかない理由を、お母さんのせいにするのはやめだ。
そもそもの原因はそこにあったかもしれない。
いや、あっただろう。そうだと思うよ。
許せないよ。(当時の話)
でも、私はもう大人で子供じゃない。
今、人生がうまくいかないのは、今の私が理由だ。
私が私を裏切るようなことをするからだ。
私の人生の責任は、私にある。
あれが、私の手の中に、私の人生が収まった瞬間だったのではないかと思う。
自分の手の中にないものを、扱いはできない。
そうは決めても、話はそう簡単には進まない。
ぐちゃぐちゃな状況を、はい、私が悪うございました!と引き受けるのは、なかなかに根性がいる。
そして、そんなことを決めなければいけなくなった人は、ぐちゃぐちゃな状況にいた、もちろん。
人生がうまくいっている人は、そんなことは考える必要がない。
人はうまくいっている理由は考えない、うまくいかない理由を考えるのだ。
時流れ。
私が自分を信じて大丈夫、自分の人生は何が起きても大丈夫、だって私が一緒だからね、と思えたのは、それから数年後のある日のことだった。
よく覚えている。
その頃私は海辺で働いていて、仕事帰り、海辺の道を歩いていた。
その日は休日出勤していて、たまたま早く帰れて、空には夕焼けが広がっていた。
その時、私は仕事がとてもうまくいっているとは言えない状態で、しっちゃかめっちゃかだった。
ほとんど毎日、クライアントに謝っていたし、自分のところのスタッフにキレ倒していた。
それでも、私は妙に清々しい気分で思った。
大丈夫だ。
なんか自立してる感じがするよ、私。
大丈夫。
私は私を裏切らない。
私は、とても嬉しい気分になって顔はほころんだ。
それで、ちょっと走った。
クライアントか上司に見られたらぶっ飛ばされたかもしれない。
まあ、状況がわやなことだったから。
でも。
大丈夫だ、と思った。
不思議だったのは、そこから、どんどんと信頼しうる人達が、私の前に現れ始めたことだった。
それから、他者の自分への信頼度も高くなった気がした。
なにゆえ、私を信頼するのか?
不思議だった。
もちろん、それまでにも信頼できる人たちは、私の周りにいたが、数は多くなかった。
それが一気に増えはじめた。
男性に対しては、私はその後も不信感を持ち続けたが、これは離婚して間がなかったから仕方ない。
自分もその頃、それは求めていなかった。
そして、そこからまた日は流れ。
ここ数年、私は、試され続けた。
それでも、人を信じられる?
生きていれば、いろんな経験をする。
そして、私は、少し変化した。
仕事については、信頼に値する人を見極める目をもとう、と初めて思ったのだ。
大成長だ。
多分、だいぶ遅い成長だ。
NOがはっきり言えるようになるまでに時間がかかってしまった。
信頼してないのに信頼してるふりをするのがものすごく失礼だということに、気づくのが遅かった。
信頼関係、は、両者で作るものだ。
だから、買えない。
今でも、プライベートは、面白ければなんでもいい。
あ〜、この人は先で裏切るなと思っても、もはやその時面白ければそれでいい。
誰も、催眠にでも私をかけて傷つけようとでもしない限り、どうということはない。
傷ついたら治せばいいだけだ。
心が傷ついても死にはしない。
おばちゃんだから。笑
残念ね。
というわけで、信頼関係。
心がポカポカするそれがポカポカになるまでの過程が私は好きだ。
最初からはわからない。
だから、時間がかかるし、一度生まれたそれは、大事にしたいと思う。
なぜかというと、私はそれが好きだから。