先生の好み*ヨガレッスン記録

ヨガとピラティスのレッスンで再確認したこと。

私は何かを教わる時、その人の現状の能力よりちょっと上のこと、ちょっとがんばらないとできないことをさせる先生が好きなようだ。
確実にできる、きちんとできる、より、チャレンジする楽しさを優先させるというか。

ちょっと、がポイント。
すごい上だと、できない劣等感しかわかないし。


しんどいことを全くさせず安全を優先させるより、しんどいでしょ〜、さあ笑えという方の先生が好き。

全くもって個人の好み。

多分、ピアノの先生がそうだったから。
というか、ピアノの先生がたまたまそういう人だったので、ピアノは20年続いたのかもしれない。

毎回発表会のたび、先生から渡される楽譜を見て、絶対に弾かれへんやろ、これ、、、と私は思った。
後年、なぜ、いつも無理目な課題曲ばかり私に与えたかを尋ねたことがある。

先生は、「だって、その方が楽しいと思ったのよ。あなたも私も」と答えた。

無理目なことをさせる先生に共通しているのは、生徒がしんどい、つらいとか言うと、きゃきゃきゃと楽しそうなことで、ややS気質かもしれない。笑

多分、私自身もそうだ。笑

セッションでは、何かを教えている場合もあり、そういう時は、クライアントさんが、きつい、しんどいというと、しんどいですねえ、きゃきゃきゃと笑う。
その人ができる、と信じないことは、そもそも誰も要求はしない。
きついのはわかっている。
きついことだから、だれか励ます人のサポートが必要なのだから。

クライアントさんの精神状態がヘルシーだと確認できていること、ある程度の精神的負荷に耐えうる程度には、という大前提はあるが。
それがなければ、無理はいけない。


自分のヨガに話は戻るが、できなかったからと言って、どうということもない。
チャレンジすることそのものに、私は意味を見出しているのかもしれない。
それは、可能性への挑戦で、明らかにできるといいことへの可能性だ。
最近、それに飢えていたのかもしれない。


体をゆるゆるにして、呼吸が深い状態でするチャレンジは、チャレンジしやすい。

そして、呼吸が深いこと、つまり、体がリラックスしてることは、チャレンジな行動には果てしなくサポートになるな、と感じた。


なんか、これまで学んだ全てを体を使って確認していってるみたい。。。
自分が教えるスタイルを確立するために。