大人の中にいる少女

40歳を過ぎた同じ年のある友人と、ゲラゲラ笑いながら、体の痛いところや親の介護、葬式、法事の話を3時間ばかりして最後に。

これはこれで楽しい、という結論を2人で出した。
話題のネタは渋すぎるけど、年を取っても面白いことはたくさんあると。
ほっぺが痛いくらい笑ったのだ。

そして、ここからは、こんな話題が増えるだろうから、この類の話題を楽しもう、とまたゲラゲラ笑った。
「私は実は、お葬式は好きだ」と友人は言った。
私も、身内の葬式は、なぜかいつも妙なことが起きて、大爆笑が起きるといった。
人間は、まじめになればなるほど、おかしなことをする。
別れはすごく悲しいんだけど、面白いんだよね。


話題は変われど、それは教室で、彼氏がどうしたこうしたと話していた頃の楽しさと1ミリも変わらなかった。


最近、友人たちはみな事情を抱えている。
事情がない友人を探す方が難しい。
しかし、話す時は、みな事情はネタである。

これをネタに笑いにしてはいけないというルールが、私と友人の間には存在しないことが多い。
笑えないことの中にある笑いを見つけるのは、高等テクニックが必要だ。


好きなだけ笑って、そして、また、澄ました顔をして事情に溢れた日常に戻る。
大人の中にいる少女は、その間、静かに眠る。