光る道

ここしばらく、棚卸し総決算みたいな日常。
自分が集めたリソース棚卸しのようなことになっている。


その中で、そうなのよ、、、と何度か思ったのは、若い頃「器用貧乏」と言われたし、また自分もそう感じていたことだった。
割となんでもそれなりにこなせた。
特にこれが好きとか嫌いとかいうのもなかった。
でも、ずば抜けているものもなかった。


やがて、それは「マルチプレイヤー」という名前に変わった。
私のことを器用貧乏という人はいなくなり、マルチプレイヤーですね、と言われるようになった。


会社を辞めて、フリーランスになった。

仕事内容が、バラバラで自分が統一感なく見えること、専門性が低く見えることに悩んだ。
仕事の依頼に統一性はなく、できそうだという理由だけで仕事が来たりすることもあったので、むしろ仕事の種類は増えていった。


問題は、いろいろできる、は、バラバラに見えること。
それから、ひとつひとつのクオリティが低く見えかねないこと。
専門性が低く見えること。
仕事のきっかけ自体は、声がかかってからだが、途中、自分を説明する必要がある時に難しいと感じていた。
仕事をひとつにまとめてページを作るのも、信用性があがるか?といえば、そうでないような気がした。


私はチームを組んで仕事をしていることが多い。
メンバーは毎回違う。
必要な人に声をかける。
完全にひとりなのは、セッションくらいだが、これは最も見せ方は必要ない。
口コミが主だからだ。

チーム、とついた屋号を途中で作り、幾分やりやすくなった。
ひとつのまとまり。



そして、棚卸ししていく中で、私は、1本のきれいでにぎやかな、すっと光る道が自分の目の前に伸びていくのを感じた。

最近、人生で最初にしたアルバイトで覚えたことを使う機会があり、自分が人生最初にした仕事で覚えた体の感覚が戻り、そして、その体の感覚を感じたあとに、光る道は目の前に伸びた。
自分はすでにその上に立ってて、道は後ろにも伸びていた。
歩いてきた道の方が長い。


その体の感覚が、パズルの最後のピースだったような気がした。

パチン。



すごく長い時間がかかったけれど、おそらく、私は天職にたどり着く、やがてまもなくと思った。

集めたリソースをすべてまとめて、ひとつにすることができる「仕事」がある。
それなら、いろいろでもバラバラでもなく、内容は全く変えずに、「ひとつ」で私を説明できる。

もう少しだけ時間がいる。
それまでに、少し増やして集めるリソースがあるから。


道は、突然、現れるのやな。。。
別の言葉で、概念としては前からあったけど、ビジョンとしてははじめて感じた。

そっか、光る道の上をずっとテクテク歩いてきたか、、、と思った。
私が時間を道のイメージで捉えるのは、かなり珍しいことだけど。。。