ビジョン

ある大学4回生。
そのある女子大生はまじめに就職活動しなかった。
彼氏と前日けんかして目が腫れたという理由で面接をすっぽかしたりする娘に、親は泣いた。

娘にはビジョンがなかった。
目指すものが決まれば、まっすぐに走るタイプの娘は、だがしかし、目的がわからないとき、動けないという特徴も持っていた。
娘は好きでやっていることがあり、ずっとそれを続けたかったのだが、親は、水商売とそれを呼び、大学まで出た子がする仕事ではないと言い切った。

父親と母親にとってちゃんとした仕事とは、会社に所属することだった。
今とは時代が違う。
なおかつそれは、就職氷河期と呼ばれる時代だった。
なんせ美味しいところのない世代だと、自分たちでも思っていた。

毎日、親、主に母親は泣き、父親は、おまえは何を考えていると娘に怒り倒した。

娘は、早く大人になりたかった。
早く自立して家を出たかった。
だがしかし、あまりに、家を出たい思いが強すぎて、「どのような」大人になりたいかを考えるのを忘れていたのだ。
彼女は家族関係に問題を抱えていて、そこから逃げることばかり考えていた。
問題に執着しすぎて、未来の望みを見ていなかった。


クラスメイト達は、粛々と就職活動をしていて、就職先は決まり出していた。

やや焦った娘は、大学の企業からの募集が貼ってあるボードが集まる部屋を眺めに行った。
彼女の目に留まった会社は2つ。

ひとつは、商品通販の会社だった。
自分の親指を商品として売るにはどうしたらいいかを書いて送ってこい、と書いてあり、それが彼女の興味を引いた。
しかし、期限が2日前までだった。

もうひとつは、芸能プロダクションが運営する劇団のスタッフ募集だった。
こちらは応募期限がまだあり、彼女は履歴書を送り、試験を受けに行った。

一次試験で、ひとつ好きな小説作品を選び、ドラマか映画の企画とそれを提案する理由を書けという設問が出た。
彼女はワクワクしながら、企画を書いた。

そして、彼女は最終面接まで残り、「私は、人の夢をサポートする縁の下の力持ちになりたい」と言った。
それは受かったなとすら感じる盛り上がりを見せたが、そこで余計な本音を言い、潮が引くのを生まれて初めて見た。

困った彼女は、バイト先の社長に、就職させてくれと言った。
東京と大阪に会社があったが、当時、彼女のバイトする大阪には社員はいなかった。
仕事が簡単で楽だからうちで働きたいんだろ?とにやにや笑う社長に、彼女は「違う。夢がある世界だから」と言い、ふん、じゃあいいよ、社長は答えて、立ち話で彼女の就職は決まった。

楽勝だった、と彼女は思った。


その後、楽勝ではない日々がやってきた。
朝9時から夜12時まで彼女は働き、やがて、電車に乗ろうとすると涙が出るようになった。
パソコンがあれば、もう少し業務が楽だったのではないかと今は思う。
その頃、会社にはまだワープロしかなかった。

今でいう適応障害を起こし、自律神経失調症だと言われた。
彼女は薬を飲みながらしばらく働いたが、やがて彼女は、無理だ、と思った。
しんどすぎる。
やりたいことはこれじゃない。

そして、彼女は会社をやめた。
両親には「会社、辞めてきた」と報告だけした。
後から、彼女の妹が彼女に、「お父さんとお母さんが、お姉ちゃんが相談もしてくれなかったってショック受けてたで」と言った。

いくつか、彼女を心配してくれた取り引き先が、次が決まっていないならうちへ来ないかと連絡をくれたが、彼女は、体調が悪くて働く気がしないと断った。


20年後。

働く目的を、彼女はわかっていたのだ、納得はしていなかったけれど、と未来の彼女は思っていた。

大学生の彼女が、心はこもっていないが言葉で言ったことを自分は今、やってる。
彼女が興味を持ったことを、自分は今やってる。

商品企画とヒューマンサポート。
人の夢に協力すること。


そして、未来の彼女は思った。

もうひとつ、あの頃の彼女がふと思い、現実になっていないことがある。

そこにつながることはしているが、まだ、それは仕事として成立していない。
しかし、それが仕事として成立することは、今の私が欲しいものにつながる。


それから。

ビジョンはなくとも、願いは、言葉で発露する。
わかっていない訳ではない。
ただ、未来のビジョン、つまりアウトカムがないとき、自分は非常に苦しい。
自分の願いに、納得していないから。


つまり、と彼女は思った。

アウトカムをはっきりさせることは、そこに自らが納得することは、自分の願いだと自信を持つことは、人生を楽にすることだと。


大学4年生の彼女が、まず、すべきだったのは、就職先というリソースを見つける作業ではなく、何のためのリソースを探すのかを明らかにすることだった。
親から逃げるためのレメディとしての就職先でなく、自分の未来というアウトカムのためのリソース。
子供でなくなるためのレメディでなく、大人になるためのリソース。

そして、面接でされた、質問、が、彼女にそれを答えさせている。

しかし、就職活動をする前に、だれかがそれを尋ねてくれていたら、もう少し楽だったかもしれないと彼女は思った。


今、自分と同じように、社会人になってすぐいきなりずっこける若い人たちがたくさんいるのを、彼女は知っている。
20年早く生まれちゃったな、、、と思いながら、彼女はそれを見ている。


ちなみに、一年で逃げた会社に、彼女は5年後に戻り、次は自分が納得できるまで辞めない、と決めて取り組んだ。
忙しさは変わらなかったが、そこまでにストレス解消法を覚えていて、ビジョンを持っていた彼女の目からは涙は流れず、忙しさはやりがいだけを与えた。
彼女はそこで、チーム仕事の楽しさとリーダーシップの取り方、そこに必要なことを覚え、それは今につながっている。

ビジョンの偉大さを彼女は感じた。
そして、特別な人だけにそれは必要なわけではない、と思った。