後になれば全部笑い話。

この人、すごいわ、、、と私は思い、妹を見ると、妹はうんうん頷きながらこちらを見た。

すごいわ、、、と思ったのは母のこと。

その場、父の実家には、父方の親戚が全員いた。
祖母の四十九日だった。

並ぶ親戚全員を目の前に、母は分厚いノートを1冊、ばさっと出し、それから言った。
手紙を読ませていただきます。


はあ?とおそらく全員が思った。

そんな中、母は手紙を読み始めた。
20年に渡る介護の日々、どれだけ辛かったか。
何に傷つき、何に感謝し。

まあ、主に、父と父の妹、つまり祖父母の子供達への恨みつらみ。


父が止めようとしたが、母の勢いに黙った。
そして、妹はうんうん頷き、私はすげえな、、、と思いながら聞いていた。

ばさっと置かれたノートには、母の介護の収支と全ての領収書が貼られていた。
母は、祖母から頼まれて、祖母がアルツハイマーだとわかった初期に祖母の全財産を預かっていた。
自分の子供は信用できないという理由だった。
もっともだ。
ギャンブラーを信用してはいけない。


ちょっとした金額だったので、私は何度か母に、預金を下ろして自分のものにしてしまえと言った。
ある親戚のおばさんも同意見だった。
それは、あなたがもらったお金よと。

しかし、母は一切自分では使わず、預かったそれをどのように使ったかを全て記録していた。
元々、会計事務所で働いていた母のつけた記録は、勘定科目分けまでしてあった。


追い詰めるねえ、、、、と私は思った。

逃げ場がないわよ。
逃げ場がいるわよ。

そう思ったころ、手紙はまだ続いていた。

手紙は10枚あった。

長い!長すぎる!お母さん、さすがに長いわ、膝痛い、と私が感じ始めた時、母の口は、娘たちという言葉を読みあげた。


娘たちには、非常に申し訳ないことをしました。
彼女たちに、何をしてやれたか、私はこの20年の記憶がありません。
彼女たちにとって、非常に大事な時期だったはずですが。
娘たちが、行けない私の代わりに、私の実家に通ってくれたことに感謝しています。


妹は涙ぐんでいた。
私は足の痺れが勝った。
夫がいなくてよかった、と思いながら。


それから7年。
両親は、祖父母の介護の話を大笑いでする。


後になれば。

全部笑い話。