おっちゃんUさんのほんと、どうでもいい話

土曜から日曜にかけての深夜に、オンラインイベントに参加したので、起きれなくて礼拝は出れないかと思ったけれど、目が覚めたので出席した。
緊急事態宣言が出たので、今日から、オンライン礼拝だ。

教会には、おっちゃんUさんとYさんだけがいた。

おっちゃんUさんは、相変わらずのええ声で、歌ったり聖書解釈をしたりした。
一人でマイクの前で歌うおっちゃんUさんの歌声を聞いて、なんや、この人、歌、めっちゃ上手いやないか、なんでいつもちゃんと歌わへんのやと私は思った。
(そして、後から本人にもちゃんとそう言った。)
本当にうまかった。
ちょっとムード歌謡っぽかったけど、いい声。

おっちゃんUさん曰く、それは聖霊様(ホーリースピリットって私は呼んでるもの)がさせることということであったが、ならば、おっちゃんUさんのホーリースピリットは、普段の礼拝はサボってると私は思った。笑

(これは言わなかった。)


そして、聖書解釈の中で、私は一つだけ引っかかった。
おっちゃんUさんは、般若心経とお祈りは違うというようなことを言っていた。

それを唱える人は意味を把握してない的なことと一緒に。
なんで、そこで、お経の話を出すんやと私は思った。
そして、そりゃ、あんたが般若心経の意味を知らんだけで、私、知ってるけどと思った。
旧約聖書にも、多分、そこを書いた人は仏教のことを知ってたなという感じの似たような箇所があるよ、と。
どうして、ジャッジするのか(裁くのか)?と。

聖書が好きなら、聖書の話だけしてたらええやないかと思った。
他の人が好きなものは、その好きなものを好きな人が語るに任せておけばいいやないか。
どないすんねん、今のとこ、仏教が好きだけど、クリスチャンになるのもいいかなあという人が話を聞いたら、と私は思った。

他人が好きなものを自分個人は好きか嫌いかというのはありだと思うけど、他人が好きなものを見下したような発言をしなさいとは、ジーザスは言ってないと私は思う。
知らんけど、会ったことないから、本人と直接。
とりあえず、私のジーザスはそんなことは言わない。(と思う。もし言ったら、神様の気が狂ったと思って、クリスチャンをやめる。)

しかし、私のジーザスは、続けて言った。

今の私の思考も、おっちゃんUさんをジャッジしてますよ、許したげたらどない?と。

それで私は、おっちゃんUさんはなんて頭が硬いんだ、早く21世紀に来たらいいのに、と思い直した。
そしてそれから、歳だから仕方ないなと思った。


とりあえず、私は、昨夜、初対面のフランス人の人の家の壁に、我が家にあるのと同じクリムトの絵がかかってて、一番好きな画家はクリムトというのも同じで、キャとテンション上がり、これは幸先がいい!というスタートをしたイベントの話を書きたかったのだが、それは多分、後からでも覚えてるので、このどうでもいい、おそらくすぐ忘れてしまう話を忘れないために先に書いてみた。