人工呼吸器
まだお正月も開けないうちだけど。
まだそれが他人事の人が多い間に、私の人生に、再び登場した人工呼吸器の話を。
過去に一度、夫の父が亡くなる前に、私の人生には人工呼吸器が登場した。
だから、私は、大阪の死者数が他より多いことを、亡くなった人の年齢からきっとおそらく、家族と本人の選択も関わる話だろうと思っていた。
人工呼吸器は、治療の道具だけれど、人工呼吸器は、延命治療の道具だ。
装着は、必ず、本人と家族がいる人には家族の確認を取っているはずだ。
一度つけた人工呼吸器は、たとえ見込みがなくとも、外せないのだから。
夫の父は、延命治療拒否の書類に三回も日付を更新してサインしていた。
お正月、私は、一人暮らしの夫の母の元へ、半年ぶりに行った。
そこで、夫の母から、いろんな話を聞いた。
書類、口座、そしてそれから、夫の父と同じ延命治療拒否の書類。
日付が更新されていて、去年の9月になっていた。
病気が流行り出した後だ。
彼女は元看護士で、人工呼吸器は苦しいから嫌だと前に言っていた。
私は、淡々と、夫の母の希望を聞いた。
そして、夫の母に言った。
息子さんと娘さんにも、同じ話をしておいてください。
私はあなたの希望や意思を叶えるように動きはしますが、私はあなたの娘ではないから、もしも彼らが、いざという時、その場の感情で動いても、私には止められないからと。
夫の母は、わかったわ、と言った。
一緒に行っていた夫は、夫の母がその話を始めるとしばらくしてトイレに行き、戻ってこなくなった。
「泣いてんちゃいますか?へなちょこめ」と私は言い、夫の母は、「少しずつ慣れてもらわないとねえ」と言った。
頼むよ、お兄ちゃん。
この家の長男は君だ。
さて、昨日の夜、私の母からLINEが来た。
年末てんやわんやの入院中の親戚の肺炎が悪化している話だった。
その朝、私がやりとりした時、親戚はまだ軽口を叩いていた。
熱は下がっていた。
しかし、夜、肺炎が急激に悪化して、このままいくと人工呼吸器が必要だという話が登場したらしかった。
そして、人工呼吸器はつけないでほしい、延命治療は拒否すると、親戚は言った。
親戚とは、祖母を介護するためにひとり祖母と同居することを選んだ私の叔母の夫、私の叔父である。
叔父が、延命治療を拒否したので、病院から連絡があったのだ。
病院が連絡してきたということは、叔父は今、電話できる状態にはないということだった。
人工呼吸器は、延命治療の道具だが、流行病の間は、それで時間を稼ぐ間に治ることがある。
しかし、やはりただの治療道具ではない。
延命治療の道具だ。
そして、それが目の前にきた瞬間、本人の意思確認ができていればいいが、そうでなければ、家族は悩む。
意思確認ができていても、本人の意思を尊重するには、こちらにかなりの覚悟がいる。
医師には選択できない。
叔父は、80代でも90代でもない。
叔父は、なぜに感染したかというと、同じマンションに住んでいる人が感染したからだと推測されている。
その人が誰かはわからないが、叔父は、近所の誰とも、しばらく直接の会話はしていない。
エレベーターか階段の手すりかドアノブか、まあ、そんなところか。
田舎の身内が怯えきって暴挙に出た理由もわからんでもない。
だって、人と会話してないし、外食してないし、行ってたのはスーパーくらいだし。
そして、そこでは、感染者は、まだ5本の指に収まってたし。
怖がらせたくて、私はこの話を書いているのではない。
人工呼吸器は延命治療の道具で、使用には本人と家族の選択が絡むという話を書いておきたかったのだ。
流行病で、人工呼吸器を使用して治った人のことなどは、ネットで調べれば載っている。
なんともやっかいな病気が流行しとんなという感じである。
人工呼吸器で時間を稼げば治るかもしれない、けれど、完治はするのかしないのか。
その後のQOLはどうなのか。
こういうことは、メディア、特にテレビは絶対にやらないはずだ。
100人いれば100人考え方は違うだろうが、追い詰められたらまともな判断はしにくいので、人工呼吸器は延命治療の道具で、そこには選択があるということだけ、書いておこうと思った。