「できる+好き」なことからら始めよう。翻訳者追記。

 


葉っぱ一枚から始めようとそう「決めた」後すぐ、私が翻訳に手をつけた記事は、今参加しているワークショップのフォローメールにリンクが貼ってあった記事だった。


その記事は、英語と日本語は何が違うのか、探ってこいという宿題を出したその人が書いた記事だ。

私が求めてやまなかった知恵と希望を、与えてくれた人だ。


リンクの記事には、日常でクリーンな会話をするためには、という、日常の中でクリーンランゲージを活かす方法が書いてあった。


私は、彼が書いたものは自由に日本語に翻訳して公開していいという許可を、随分前にもらっている。

1人でやるつもりでないことは伝えたが、いまだに、なぜ、私の英語力をよく知る彼が、私に翻訳許可を出したかは謎である。



私は彼の英語を聞き取るのに苦戦している。今も、時には半分くらいしかわからない。

彼はイギリス英語を話すのに加え、気分がのってくると早口になるからだ。

さらに加えて、内容が難しい時がある。

これは、アメリカ人も同じことを言っていたから、語学力とは別の話かもしれない。


「私は、あなたの話は半分くらいしかわからない、だから、ジェスチャーとかを必死で見てる」と伝えたら、彼は、もしもその半分がいい半分なら、それで十分だと言っていた。


私と彼のやりとりが主にメールだったことは、私にとって幸いだった。

メールは、私しか読まないので、彼のメールはだんだん文章が簡単になっていった。

私のレベルに合わせてくれており、ものすごく簡単な文章で、こうも言える、こうも言えると、言い換えた文章を並べて説明してもらえるからだ。

(そして、質問にはいつでも答えてくれたからだ。これは、彼は誰に対してもそうだ。以前に、世界中からメールがやってくると言っていた。)


これらのメールは、やがて、他の人に伝えるために、宝ものみたいな感じになると思われる。

「あなたは何が起きれば好いのでしょう?」を彼が言い換えた文章を、私は持っている。

それで私は、文字でなら、その質問の中に含まれる一番大事な意図を表すことができると気がついたのだ。


好という一文字で。


他にも、翻訳するときに大事なことを書いてくれている。

何が大事なのか。


私は、彼が話すことは、今でも半分しかわからない。

けれど、彼の書く文章を数年眺めていたら、文章は理解できるようになってきた。(気がする。)

文章は消えないので、何度も繰り返して読めば、そのうちわかるようになるのが不思議だ。


そして、彼は、非常にたくさんの文章をオープンソースで公開している。

私のイメージでは、彼は、ソクラテスかプラトンかといえば、プラトンやアリストテレスだ。

プラトンやアリストテレスがいなければ、ソクラテスのことは、後世の誰も知らなかった。

なんせ、ソクラテスは技法について、書いてないのだから。


さて。

記事を三分のニまで訳した時、私は、いつもはないことが起きていたことに気がついた。


私は、いくつか翻訳者追記を、翻訳に加えていた。

自分の理解で、これはもう少し説明しないと、日本語では伝わらないと思ったところに。

日本語でわかりやすいように。


彼が書いたものそのものに手を加えるのは、クリーンではない気がした。

意訳するしかない部分もたくさんあるが、訳は、できるだけニュートラルな訳にしたかった。


言葉は、その人の世界観そのものだからだ。


翻訳者追記を加えよう、私が学んだことからと、私は当たり前のように思い、当たり前のように、そうしていた。



「英語と日本語の違いについて探ってこい」という質問と、葉っぱ一枚が、私の頭に浮かんだ。


ほんと、メタファーで起きたことや、そこで質問されたことは、行動になるのが早いんだよ。

そして、当たり前みたいにそうしちゃうんだよ。

すごいんだよ、と、私は、そう思った。



私は、英語と日本語の違いについて、探り始めたのだ。

前から探っていたけれど、羽根を生やすための葉っぱを作る作業として。


つまり、他人に、自分の頭の中、自分の解釈を公開しながら探りはじめたのだ。



すごいんだよ、と、私はまた思った。

同じように、日本語で、英語と同じように、それを、日本語でやるにはどうしたらいいのか?

そのための葉っぱは、そうか、もう与えてもらっていたんだなと、私は気づいた。


日本語になっていないだけだ。

なぜかというと、色々あって、私がサボっていたからね。

私は隠れていたかったのだ。

流行病がなければ、まだ隠れていただろう。


テキストも、自由に翻訳して使っていいと、とっくに許可は取ってあるのにね。


羽根が欲しいなら、はよ注釈を加えて書けや、と、私は私に思った。



そして、私は、背中につけるために作る羽根の原材料の葉っぱの一部は、天使がくれた青い葉っぱに黄色を加えて緑にしたものだ、と気づいた。


今作ることができる葉っぱは、青色の葉っぱに黄色を加えて、緑の葉っぱにすること、と。


青色が英語。

緑色が日本語。


そして、英語と日本語の違いは、色、と、私は宿題の答えにたどりついた。