新しいパターンに気づく
やはり最初は癒しからはじまる、けれど癒しは希望(願い、望み)からはじまる、と、私は頭の中を整理し直した。
希望が先だ。
希望のために、癒しが必要な時、癒しは起きる。
たとえ、本人が、自分は傷ついているという自覚すらなくても。
自然に、それは起きる。
希望が強くなった時に。
そして、おそらく、誰もが、生まれた時に、お腹の真ん中に、ひとつ希望を持って生まれてくる。
だから、誰でも、自分で自分を癒すことができる。
ただし、手助けが必要なことが多く、それは、他人がすること。
そして、癒すためには、傷ついていることを自覚する必要すらなく、ただ、希望を育てれば、癒しは勝手に起きる。
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土曜日から日曜日にかけての深夜から朝にかけて、私は、新しいパターンの体験をした。
それをまとめると、上に書いた感じのようなことになる。
新しいパターンの経験だということには、さっき気がついた。
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土曜日から日曜日にかけての深夜、英語で開かれていたイベントに参加した私は、自分のお腹の中に、まだ言語化されていない「生まれた時から持っている願い」があるのを発見した。
ほんまにあるのやな、そんなものがと思った。
その「言語化されていない願い」は、タイミングを待っていたのだという。
私の作業を手伝ってくれていた人たちは、私の体をリソースフルな状態にした。
そして、それから来週末までに宿題として、その言語化されていない願いに、「願いは何が起きればいいのか?」「他に何かあるか?」、質問して探ってくることを勧めた。
そのセッションの中で確認したことには、私の体は、ものすごく強いリソースを胸に持っていた。
そのリソースは、私自身が驚くほど強かった。
水が決して枯れない泉のように湧き続ける愛だ。
イメージの中では、すでに泉には噴水のように、水が噴きあがって、水が泉の外にまで溢れていた。
それは、自由で温かく、人に分けるのが容易だと、私は言った。
私は、胸の泉のような愛を確認してから少しだけ眠った。
そして、朝、起きた瞬間、私の目からは、それこそ、泉のように湧き上がる涙が溢れでた。
私は、目が覚めた瞬間、自分が傷ついていたことを自覚した。
そして、それが癒されたことを自覚した。
どうやら、私は、相当、傷ついていたようである。
しかし私は自分が痛みでいっぱいで、傷ついていたことは知らなかった。
傷が治る瞬間に、私は、傷ついていたことを知ったから、私は、痛みは感じなかった。
私が何に傷ついていたかのは、そのあと、メールを書いて理解した。
私は、来週セッションをする人には、このプロセスをシェアしておいた方がいいと思い、英語でメールをスマホで打つ中で、それを理解した。
私が痛みを感じていたのは、人々が日に日に希望を失っていくことだ、と、私は書いた。
(それは主に、日本の場合は、人の暮らしや健康よりも、お金を愛しすぎる政府のせいだとも書いた。)
私は、去年一年中、誰かを励ましたり、笑い続けていて、一度も不安にもならなければ、泣いてもいない。
私は希望だからだと、私は書いた。
けれど、自覚はしていなかったが、私の胸は痛んでいて、私は泣きたかったのだと理解したと、私は書いた。
そして、一年中抱えていたらしい痛みは、私に痛みを全く感じさせることなく、10分ほど泣いたら癒された。
そして、知らなかったけど傷ついており、それは気づいて一瞬で治って、もう傷ついていない私の手元には、自分が生まれた時から抱えていて、今を待っていたのだという願いに自分で質問するという宿題が残った。