冬休み1:パンデミックから気づいたこと

 

なんかよくわからんが、カリフォルニアなのだ。

カリフォルニアはいったい何かわからないが、カリフォルニアなのだ。


この週末、今日から私は冬休みです!と決めた私は、手にした本の著者紹介を眺めながら思った。


私が何かを習得しようとすると、カリフォルニアが登場するなと。

特に、思考。


私は、昨年から、絵のデッサンや色を学習中だ。

独学だが、先生はいる。

脳の仕組みを使って絵を学ばせるこの先生の話は面白いので、私は、この先生が言う通りにしている。


先生は、本の中にいる。

本物は、カリフォルニアにいる美術の先生だ。


私が何をしているかというと、私は試している。


視覚をトレーニングすること、視覚情報を正確に再現できること、観察力を鍛えることが、なおかつそこに創造性を使うことが、どのように思考に影響を与えるかについて。


発端は、メタファーだ。


私は、メタファーを細かく描写できればできるほど、自分への影響が大きいことに気づいた。


メタファーは物体だ。

視覚情報が関係すると、私は思った。



そしてまた、パンデミックも影響している。

去年の途中で、私は、このパンデミックを、ただの病気の話としてしか理解できない一群がいることに気がついた。

多角的に情報を処理できない人がいる。


それらの人は、怖くない、と言う。

しかし、それらの人は、3年無収入で暮らせる貯金を持っているようには見えないことがほとんどで、真っ先に影響を受けそうな人のことが多いのが不思議だった。

学生は社会について理解できていないから、まだ話はわかった。

私が不思議だったのは、社会人だった。


病気としては、長期的な影響は全くわからないが、今の感じだと、ある程度若い人なら、ウイルスが変異しない限りは怖くないのかもしれない。

しかし、それは、パンデミックの一面に過ぎない。

そこに、想像力の欠如を、私は感じた。


パンデミックの情報は、文章か映像で提供される。

言語化されているが、情報は主に目から入ってくる。

視覚情報だ。



視覚情報を処理する能力、想像力、分析力、それらは、メタファーを処理する能力と同じに思えた。


それで、私は、デッサンをしてみることにした。


私の能力に、どのような変化が生まれるだろう?と。


考え方を変えたい人は、もしかしたら、絵のデッサンを勉強するだけでいいかもしれないこともあるかもしれないと思ったのだ。


ちまたに、デザイン思考、アート思考という言葉も生まれはじめたことであるし。


ならば、デザインとアートでやってみようと私は思った。


私はもともと色は好きだし、仕事でもあるし、この作業はいいことしかないように思えた。



そして、カリフォルニアなのだ。


私のどこかのパラレルワールドのタイムラインには、カリフォルニアに住んでる私でもいるのかもしれない。


今、大変でしょうな。

もしくは、そのタイムラインには、パンデミックはないかもしれないね。