コントロールできないもの
両親が、高校生の私に、繰り返し言ったことがある。
『「絶対に」自分がよくわからないものに投資はしてはいけない』が、それだ。
絶対に、と、何度も両親は言った。
当時、私は、新聞の株価のページに並ぶ数字を眺めるのが好きだった。
私の両親は株式投資をしていたので、その影響はあったかもしれない。
私は、なぜ、数字が動くかに興味を持った。
人が株を買えば数字は増え、人が株を売れば数字が下がると父が教えてくれた。
数字は、人の感情の表れだと。
どこで売るかだけの話だと、父は言った。
その頃、株価は下がり始める直前で、ある日、私は、新聞の数字がいつもと違うことに気がついた。
「お母さん、株下がるような気がする。数字の雰囲気がいつもと違う」と私は言った。
父も「僕もそんな気がする」と言った。
父は、仕事をしていて、そんな感じを受けていると言った。
そろそろ上がるだけの景気は終わりだろうと、父は言った。
母は耳を貸さなかった。
母はまるで、思い通りに株価が動くみたいにこう言った。
「あと、〇〇パーセント上がってから売る。」
母がそう言った株の数々は、その後、当時の〇〇パーセントから上がることはなく、結局、母は多くの人と同じように損をした。
ウイルスについての話を政府がする度に、私はなぜだかこの話を思い出す。
政府が、コントロールできないものを、コントロールできると信じているように感じているからかもしれない。
コントロールできないもの。
人の感情の集まりと、その集まった感情が巻き起こす動きだ。