昭和20年大本営と新年の計

 

彼らは、そうか、彼らは自分と同じように知らないんだと、今朝、ふと思った。


私には、今、昭和19年から22年をギュッと短縮して濃厚にして、やり直しているように感じられている。

たまにね。

同じような人は少なくないようだ。

SNSでは、政府を大本営と呼ぶ人が現れている。


私もそうだ。

そう感じる。

私の人生の中にはじめて登場した、平時ではない時間の中で。


人は知らないものが人生に登場すると、自分が知っているものを集めてきてそれを表現しようとする。

メタファーだ。


昭和19年から22年、大本営、戦争中、平時ではない時間はメタファーだ。


歴史を学ぶ中で、私はなんども思った。

なぜ、ドイツが負けた時点で、手を引かなかったのだろう?

イタリアはすでに負けていた。


なぜ、3月に、東京、大阪、その他都市が空襲でぼろぼろになった時点で諦めなかったのだろう。


離島への食糧供給はすでに絶たれ、多くの兵士は戦うことはおろか、飢え死にしていたのに。

国へ逃げ帰るルートすら断たれていたのに。


なぜ、沖縄を取られた時点で、諦めなかったのだろう?

なぜ若い人に命を捨てさせるという特攻隊などという愚かな作戦が、効果があると思ったのだろう。


敗戦後、国を建て直すことにこそ、彼らの命は重要だったのに。


なぜ、ヒロシマに原爆が落ちた時点で、負けを受け入れなかったのだろう?

そうすれば、ナガサキの人々と街は守れたのに。

満州の悲劇も、シベリアの抑留もなかったのに。


なぜ、そこから6日も、降伏までに時間がかかったのだろう?

負ける準備をする時間は、少なくとも半年はあったのに。



私が、憲法9条は死守だと思っている理由は、戦争がいけないことだからではない。

政府からは守ってもらえない、憲法に守ってもらうしかないと思っているからだ。


戦争は、市民にはなんのメリットもないという現実的なところと、それからもう一つ。

なんとも、負けるのが下手くそと、日本政府のことを判断しているからだ。


攻撃ばかり考えて、防戦や命を守ることが下手くそだ。

政府を責めているんじゃない。

ただ、そういう特徴があると、私は思っているだけだ。


愛がない。

そして、戦時の失敗を把握している人間はもう、政府内にはいない。

今。他の国と日本の対策が違うのは、当事者としての戦時対策のノウハウを、日本政府は持たないからだろう。

配給について何も考えていなかったから、給付金を配るだけのことにばかみたいな時間がかかる方法しかなかったのだろう。

彼らが知る危機は、経済危機だ。


戦時対策の経済対策と、景気による経済危機の経済対策は明らかに違うが、彼らは、産業を盛り立て強化する通常の景気による経済危機の対策を打ち続けているように見える。



私たちは、ウイルスに負けたのだ。

この戦いはウイルスの圧勝だ。


症状に勝つ方法はあるし、ウイルスの力に変化はあるかもしれない。

ウイルスの勝ちがすなわち人間の死を意味するわけではないけれど、あちらさんの勝ちだ。


世界制覇達成だ。

新しい種を生み出しながら。

彼らはまだまだ伸びるだろう。


大袈裟でなく書くならば、私には、オリンピックが昭和20年の8月頭に感じられる。

しかも今度は、爆弾は、日本の首都に落ちる。

日本の全ての空港とつながっている空港が使われる。

正気の沙汰とは思えないが、それが、今も変わらぬ大本営。

当事者としての戦時を知らない政府。



負けを認めることは、勝つことより難しい。


その間、市民に使えたはずのお金は、流れ続けていく。

政府の入れ替えは、そこまでない。

総選挙はそのあとだ。



さて。


私は勘がいいので、いろんな人から今年はどういう時代かと思うかと聞かれた。


全部ぼかして答えてきたが、私たちが生きる今年は、そういう時代だと私は感じている。


平時だと思って動くなと、近い人には言った。

わかりにくいのだ。

目に見える世界は、いつも通りだから。

想像力には、強い弱いがあるから。



けれど、希望は見えている。

平時じゃないからこその優位性もある。


そして、私たちが今いるのは、戦争を生き延びた人たちがいるからだ。

私たちの遺伝子は、いくつもの流行病をくぐり抜けてきたからだ。

そして、今回のウイルスの殺傷能力は、命については、圧倒的に爆弾より弱い。

医療も発達している。


きっと命は大丈夫な人が多い。

生きてれば、時代は変わる。

乗り越えるには、愛を使えばいいと思う。


恐怖じゃないよ。

愛を使う。


あなたが好きなもの、あなたが好きな人、あなたが好きな行動、あなたが大事だと思うこと。

あなたの好きな歌。


あなたの愛を使えばいい。

今は永遠じゃない。



そしてね、私自身は、今、ワクワクしてる。


今から、新しいものがたくさん生まれる。



それから、私はいかに心は温かいままで、年末にたどり着けるかというゲームに参加している。


よければご参加ください。


「心はポカポカ温いままで、20211231日を迎える。」


これが、私の新年の計。