終わりよければ、全てよし。

三回に渡り参加したワークショップ。


快調に飛ばしていた私だったが、最後の最後のセッションの最後に、問題がぶち上がったところで終了。


なんて、こったい!と、私は思った。


胃のあたりがものすごく気持ち悪く、気分が悪い状態で、私はセッションを終えた。

これは通常は起こり得ないが、今回は時間制限があった。


そして回線を切り、家のリビングに意識が戻り、ひとりになった私は、眠れなくなった。


胃のあたりの気持ち悪さを抱え、同時に、頭は勉強して新しく気づいたことから浮かぶ新しいアイデアにワクワクし、気持ちは落ち込み、なんともアンバランスな状態のまま、私は悶々としたまま朝を迎えた。


それで、休むつもりだった礼拝の時間まで起きていたので、礼拝に参加した。

こちらもオンライン。


したらば。


最初の歌にはじまり、聖書解釈まで、全ての流れは、私の気持ち悪さに対応していて、私がそこから抜け出す方法を示していた。


ホーリースピリットネットワークの中では、こういうことは珍しくないが、それにしても、よくできすぎていて、私はびっくりして、感謝した。



そして、思った。


あなた、おいしいパートは全部持っていくわね。


さすが、栄光は全て、神のもの、だ。


まあ、私は解決すれば、それでいい。

ありがたく感謝しておきましょう。



時間がかかると思われた問題解決だったが、たった30分で解決し、もしたとえ、先でそれがぶり返しても、自分がすればいいことがわかった。

自分と向き合うことなしに。


この問題に関しては、解決は、与えてもらえばいいのである。

癒しパートの話だから。

私は祈りもせず、I need to heal.とセッション中に一回だけ口にしただけだが、解決してくれた。


神さまは、早い、安い。


これもまた、私が神さまを気に入ってる理由のひとつである。

早くできることは早くていい。

プロセスから学ぶことは、この場合ない。

癒されれば、ただ、それで話はすむのである。


ともかく、ワークショップのオチはジーザスがさらっていき、私の手元には、私が本当に時間をかけて考えるべきワクワクする新しい取り組みだけが残った。


終わりよければ全てよし。