徳川VS豊臣

歴史SF


徳川VS豊臣。


とっくに結論が出た戦いが、今もまだ続いているのかもしれない?

戦国時代から遥か時が流れた民主主義の世の中で。


Youtubeで見た家紋の話から始めた、何の役にも立たない調べものをした後、今生きているのは歴史SFの中や!と、私はワクワクした。


日本の首相が使っている紋は500円玉の紋。桐。

桐は豊臣家の家紋。


明治維新で、日本政府は、豊臣の家紋を首相の紋に採用したのだという。

初期の政府メンバーが、西日本の人達で構成されていたのが理由ではないかという。


事実は知りようもない。


しかしながら、歴史SFの中に自分も生きているのかもしれないと私に空想させて楽しさを感じさせるムードは、今、町に流れる。


小説が書ける。


町は今、戦いの最中である。

あまりにも平和な戦い。

好きなように言いあってるが、誰も死なない。



戦いに、まともな疑問がひとつだけあるのは、反対派の国会議員が、大阪府にお金を取られますよと訴えることだ。

大阪市民は大阪府民なので、府の利益はまた、大阪市民の利益でもある。

政治家の立場で考えるなら、権限がどこにあるかは大問題なのだろうが、庶民の立場で考えるなら、誰が権限を持とうが、行われる内容が同じなら、そんなことは大した意味がない。



文明に、進化に、歴史SF


この人生の舞台は、なんとも派手だ。



そして、私の日常は、地味だ。

生きる時代と日常は、大して関係せんなと思う。


どこまでいっても、そこにあるのは個人の人生、個人の体験だ。


けれど、どんな舞台にそれが存在するかという舞台設定は、少なからず、個人が感じることに影響する。


歴史SFは、文明や進化に比べると規模が小さく、また身近に舞台がある。


しばらく、これを楽しむとしよう。