癒し、解放。気づき。そして、今書いたこれら全てがこのようであると、次に何が起きる?

 

話が斜め上。

話が飛ぶ。

話の行き先の推測が立たない。

突飛。



以上が、私の話に対して、非常に頻繁に頂くお声である。

幼い頃、母を悩ませたこれらの要素に、今や人はお金を払う。

だから、これは使える要素なのである。


ところがどっこい!

私は気づいた。


私が一人で自分の仕事について考える時、私は、これを使わない。

まともに枠にはめて考えようとすることに。


今さら?

そう、今さら気がついた。


気づきをくれたのはまだ若い癖毛がかわいらしいYoutuberピアニスト。

彼は、駆け出しのクラッシックのピアニストでもある。

今年は飛躍の年だったろうに、ホールでのコンサートができなかった。

年末には開けるらしいので、私は、東京まで聞きに行く気満々だ。


動けなかった今年、しかし、彼は、Youtubeで創造性のかたまりの音を世界に届け続けた。


私は、最近、彼が生み出す音楽にどはまりしている。

彼のことを現代のショパンかリストと評した人がいるが、彼を見ていると、私も、すごい瞬間を眺めている気分がする。

彼は違う次元からやってきた宇宙人じゃないかとすら思う。

彼の死後のWikipediaを、おそらく私は見ることができないことが残念だ。



ただ彼を眺めていたら、深い深いところが、解放されていくのを感じた。

手が届かなかったところが癒されていく。

癒しもまた、解放だ。


それはおそらく、彼の学歴にも関係する。

彼は、音楽大学出身ではない。

しかしながら、日本で一番大きなピアノコンクールで優勝している。



ともかく、彼を眺めていて、私は気がついた。

少し前に書いた「他に何かある?」の答えに。



師は前を歩いているとは限らない。

救いをもたらすものも、先に生まれた人とは限らない。


師は後ろからやってくることもあれば、救いは後から生まれることもある。


いずれにしても、彼の音楽が、「他に何かある?」の答えを私にもたらした。


話は、この前の礼拝ともリンクしてる気がする。

「人の話を聞かない時、私は話を聞いている。」



これを自分にあてはめるなら、自分の考えを聞くな。




「癒し、解放。気づき。そして、今書いたこれら全てがこのようであると、次に何が起きる?」