来年の話

ただの日記。
まとまりなく。


予測がつかない広がりというキーワード。

個人的な話だけれど(まあ、私見しか書いてないけど、このブログ)、私は、来年の予測が立たない。
きっと多くの人もそうだろうけれど。

結局、自分が1ヶ月以上、仕事を休まなくては行けなかった以外、私は流行病からダメージを、現在のところは受けていない。
マスクをつけている以外、影響を全く受けなかった夫ほどではない。
ただし、彼は、自分自身の生活は、昨年までと大きく変化しているが、病気は関係ない。

私が影響を受けなかった理由は、私の仕事がもともと、世の中の流れとあまり関係ないことばかりだということにある。
景気とやや関係するのは、グラフィックデザインだが、私はそれ一本でやっているわけではない。
そして、主に、仕事相手は個人だから、あんまり、景気は関係ない。

デザインで扱う内容は様々時々だが、私が現在しているのはPtoPの仕事ばかりだ。
企業は絡まないか、絡んでいても、社長本人との関わりの中で仕事していることがほとんど。
個人の人生のタイミングは、世の中がどのようであろうとも、動いていくものだから。

いつでも、人よりうんと不安定な中で仕事をしてきたけれど、今年、この不安定こそが、人対人というスタイルが、割と安定的なスタイルだったということに私は気がついた。
企業を介さず、人とやりとりすることが、世の中的にも増えてきて、自分がどんどん普通になっていくのを感じている。
手をつけたのが早かっただけなのかもしれない。


(ならば、個人の人生においても、ビジネスとチャリティはセットだという考えも、もう少しすれば、きっと世の中でもっと当たり前になるだろうと思う。)

 

私は何か確信を持って、強い信念を持って、仕事をしているわけではないから、先はこうなるだろうと読みながらやってきたわけではない。
夢のない話のように聞こえるかもしれないけれど、現在、私が主にしている仕事は、週2日数時間、クリーンランゲージのフィールドワークでやっているアルバイト以外は、「お金になるから」続けてきただけだ。
やりたいことにする努力をしたから、今は、全部、やりたいことだけれど。

収入ということでいうと、私は、労働とお金を結び付けて考えていない。
もしかすると、労働で得ているお金より、訳のわからない収入の方が時には多いかもしれない。
どちらも大金ではないので、書きますけども。笑
税務署、怖くないから。笑

私は最終的には、働かなくて収入が入り続ける状態が欲しい。
そうしたら、チャリティだけをやっていられる。
チャリティを私は労働として捉えているが、私の労働にお金は必要ない。
ボランティアということでもない。
善意ということでもない。
あくまでも、私は仕事がしたい。

ただ、自分の動きと直接、お金を結び付けていない。
お金は回る。
よくわからないけれど、自分の動きそのものからお金を得ることに執着しなくても、やがて、何処かからお金というものは回ってくる。

今までずっとそうだった。
それで、私は、無料の仕事を嫌がらない。
ボランティア魂に溢れているわけではない。
ボランティアはボランティアでやるが、私は善人ではない。

しかし、これが、時に、私をいい人に見せているらしい。
私はただ知っているだけだ。
仕組みを。
やがて、何処かから、今、働いた分は必ず入ってくるということを。
与えたその人から直接もらわなくても。
割と長期スパンでお金を見ている。
私が無料でいいですよというときは、貯金してる感じ。

(ただし、この人は人に与えないと自分が判断した人に対しては、私は無料の仕事は一切しない。与える循環の中に住んでいる人に与えるのでなければ、お金は回ってこないから。仕事の場合は。目には見えないサークルがあり、そのサークルの中に入っていると判断できる人にしか無料では仕事はしない。つまり、その人が人に与える人かどうかを、私はものすごく観察している。動きを見れば、それはわかる。発言では見分けられない。行いでしか見分けられない。これに特殊能力はいらない。
そして、そのサークルの中にいない人に、チャリティではなく仕事を無料でやってしまうと、自分が枯渇していく。これ多分ルール。)


世の仕組みは、基本的には、人を搾取するようにはできていないというのが、私の考えだ。

与える気持ちだけ持ち続ければ。

Give and take.

与える。そしてそれから、手にするとか、掴むとか。受け取るとか。

一度、その流れを始めて、最初に手にするまでは、「本当だろうな?」と疑い半分だったが、手にしたあとは失う恐怖は消えるから、楽ちんだ。
最初の一回。
やってみるとき、おそらく、怖いのはそこだけ。
自分の取り分を考えずに、相手に与えること。


世の仕組みは、いたくシンプルだと最近はよく思う。

人が喜ぶことをしたり、困っていることを手助けすることで、自分にできることを喜んでしていれば、どうにかなる。

つまり、それが、私が好きなことなのだろう。


そのシンプルな仕組み、それを持ってして、来年は予測が立たない。
世の中のダイナミックな変革の実質的な始まりは、来年だろうと思うのだけど、自分はどうするかなというのが予測が立たない。

ただ、来年に関わる仕事は、すでに手をつけている。
私が今している仕事のほとんどは、来年のはじめに世に出る。

それらが終わるその後、自分が何を思うかが、全くわからない。


きっと気づいたら、喋ってしまい、きっと喋ってはいけないことなので、私が私に内緒にしているのだろう。
つまり、言語化させないのだろう。

私は、私をよく知っている。

体は、とっくに来年を始めているはずだ。
頭より、動きがずっと早いのだから。

これは、誰の体も。