タイムラインと次元の統合。科学が解明するまで待つか待たないか。

科学が、理由や仕組みを解明してくれるまで待つか。

科学が、理由や仕組みを解明し、発見または生み出したものだけを、可能なことと判断するかどうか。

目の前に現れるそれまでは、SFとして扱うか。


それとも、それまで待たないか。

人は分かれる。

きっとここからは、もっと分かれる。


待たない方が、失敗するリスクは高い。

けれど、微妙なタイミングに生きている人にとっては、待つ間に人生が終わる可能性がある。



意識だけは、いつでも、過去にも未来にも、別の次元にも、好きな場所にいけるのだ。

なんせ、頭の中だから。


そして、意識はすごいらしいということは、かなり広まりつつあるが、しかし同時に、意識の正体はいまだわからない。


意識はすごいらしいが、一般にもかなり広まりつつあると判断したのは、ここ数年に作られた海外のSFものに、やたらと登場していたからだ。


秋の夜長にSFドラマや映画を見倒していた私は、ここ数年作られたそれらに、自分が習ったり聞いてきたり思ったりしてきた話がふんだんに盛り込まれているのを見た。

それが現実になる時は、こんな感じだろうと映像化してあるものを、たくさん見た。


三次元から五次元が統合された四次元システムを見た時、やはり!と、私は言った。

それは、不思議世界ではなく、科学の世界として、その映画の中に存在していて、人類や人生を救っていた。


勉強するのは苦手とか、意識高い系とは関わりたくないとか、そこにお金をかけるのはねという人は、SF鑑賞がおすすめ。

ハリウッドが、絶賛、情報開示中だ。

公開が、2012年以降のSFがいいと思う。


そんなことあるわけない、とか、これは作り話だとか、疑いながら見るのではなく、話を素直に楽しめば、いいメタファーが手に入るのではないかと推測される。

好みにあえば。


SFがいいと思うのは、映像は、それをすでに使っていることだ。

現実にそれが存在するという設定。


意識のビジュアライズ(映像化)は、意識を現実にしていく時に、割と影響がある気がする。

しかしながら、誰もが得意なわけでもない。

得意じゃない人は、映像を使えばいい。

起きて欲しいことが起きている映像を探したらいい。


自分で生み出そうが、目から入れようが、この場合は効果は同じだと思う。

人は、自分で生み出したものでも、信じない時は信じないから、同じだ。


信じたり、素直に発想を楽しむことは非常に重要だ。


願いを叶えていく時、個人の要素うんぬくんぬの前に、願いが浮かんだその瞬間のそこでつまづく人は、わんさかいる。


自分の人生に、願いを引っ張り込むところで。


願いを引っ張りこむ作業に、ビジュアライズが使える。

必ずしも必要はないが、おそらく、ほとんどの人は、それがあった方がやりやすい。


イメージという言い方もするが、私個人の感覚としては、人生に映像を引っ張り込む感じだ。

自分が見えたらNO

自分の人生で、自分が自分の姿を見るのは、鏡の中か写真だけだ。


自分のビジュアライズをしたい時は、イメージではなく、鏡を見ながらした方が効果はあると思う。


富裕層になったるわい!と決めた後、書け、早いもん勝ちだ、と、私は思った。


同じことを感じていて、まだこれは書かれてないなと、同じように感じてる人がきっと沢山いる。


何がどうつながるかわからん、書け、と、何かが言った。


SFによるなら、その何かは、別タイムラインにいる未来のすでに資産家の私だ。

話は、富裕層になったるわい!から始まっているから。


というわけで、私は、SFを書く。

ここに。


意識におけるタイムラインと次元の統合について。



日本は、今、鬼退治やってるから、日本で起きるのは少し後だと思う。

大正時代でしたかね。

面白いですね、あれも。


元号を使ってるから、日本人の時の感覚は、西暦一本の国よりは、複雑な理解なんだと推測している。

世界の中での時代感覚が、おそらく独特な気がする。

それでいいと私は思うけれど、ややこしいから令和になってからは、西暦だけで物を考えるように、私個人はしている。

数字だけだとシンプルだから。



と、だらだら。


しばらく、だらだらで浮かぶままに書いてみよう。