朝日記

 

私は、時々、ブログの中で、自分へ質問する。

だいたいが、クリーンな質問だ。


自分と対話するのにも、その質問は機能する。

コミュニケーションするのが、他人か自分かという違いだけだ。


他人と会話しながら自分と対話する(セッション、コーチング、カウンセリング、日々のおしゃべりなど)と、黙って自分と対話する(自分と向き合う、自分を観る、自己評価、内観など)時との違いは、そこに、自分の価値観とは違う思考を持ち、合いの手を入れてくれる存在がいるかいないかだ。



私が日記を書き始めた初期に知ったあるオランダの少女は、日記にキティと名前をつけていた。

私はなんでも真似してみたがる少女だったので、以降、私も、日記を書く時は、他者の存在をそこに作った。


日記はおしゃべりツールだった。


小学生後半から中学一年生までは、実際に、日記は他人とのおしゃべりツールとして存在した。

私は、流行には乗る少女だったから、流行していた交換日記を友人としていた。

別に、一年間だけ、担任の先生と交換日記をした。



その後も、ずっと日記を書き続け、25歳の時、インターネット上に、自分の日記を上げ始めた。

当時まだブログはなかったから、友達だっただいぶ年上のお兄さんが作った掲示板に。


やがて、私は、クローズドのSNSの中で、ギャラリーがいる状態で、引き寄せが本当かどうか検証する日記を書き始め、それが、今のブログへと続く流れになっている。


今も、いくつかを叶える検証作業中だ。

ひとつは、黄色いバス。

他にもいくつか、同時進行している。

小さなところでは、ホームページとか。



日記というファシリテーターを相手に。

それは、とても自然な流れだったんだなと、今朝、気づいた。

80年近く前に、オランダで生きた少女が教えてくれたこと。

日記は、話し相手になるよ、ということ。



日記で、私が私に質問すれば、私の頭は、他人から質問された時と同じように動く。

日記を書いている間、私はある種の瞑想状態みたいなもんなので、より効果的。

セルフトランス状態とも言う。

頭はそんなに動いていない。

頭の中では言語化はしていない。

ブログは、指が書いていて、言語化は指がしている。



さて。


質問が上手に使えることは、他人だけではなく、自分のことも助ける。

クリーンな質問は、自由な思考を妨げない質問だ。


その中の質問のひとつ、「他に何かある?」Is there anything else...?は、ドラマを見ていると、イギリスの日常会話には普通に登場しているが、日本語ではあまり使わない節回しだ。


使い方やバリエーションがたくさんある質問だが、この質問のみをシンプルに使う時は、思考を広げる。


簡単だし、かなり使える。



私はここ最近、「セッション用のホームページ」というアウトカムのもとに、ブログを書き続けている。

関係ないことを書いているような日も多いが、それらは、関係なくはない。

思考とは、そういうもんだ。


これに、かなり長い日数を費やしてきた。


急ぎではないから、寝る、という作業を間に挟みながら、続けているからだ。

寝るのは、本当に大事。


そして、起きてすぐ、ぼ〜っとした状態で、ブログを書く。

私は、朝日記をおすすめする。

瞑想とか苦手な人は、朝日記、おすすめよ。