ネアンデルタール人とか、タケコプターとか。

少し前に、流行病が重症化するかどうかには、ネアンデルタール人の遺伝子を持っているかどうかが関係しているらしいという論文が出たというニュースを読んだ。


私は、ああ、そうか。

なにゆえ、いつも二種類いた人類が、ホモ・サピエンスだけ一種類なのか不思議だったけれど、まだ、ネアンデルタール人との亜種の人類が存在していたからかと思った。

ゆるやかな淘汰が起きているのかもしれない。


進化ってゆっくりなんだね。


そして、ああ、そうか、そのうち登場すると言われていた新しい人類、ホモ・サピエンスとは違う人類が誕生するタイミングなのかもしれない、私が生きるこの時代のタイミングの話は、文明よりももっと大きいかもしれないと思った。

ゆるやかな進化の中のほんの数十年に、私は滞在しているのかもしれない。


今日、おっちゃんUさんとその話をしていて、私は、「(その新しい人類は)もう登場してるかもしれない。見た目が同じで遺伝子だけが違うなら、誰が新しい人類かはわからへん」と言った。


人間は、環境に適応して自分たちを進化させるやり方をもう長い間とっていない。

道具を使って、環境を自分たちに合わせるやり方をとっている。

寒けりゃ服を重ね着する。

暑けりゃ冷房をつける。


今、現在の状況としては、見た目を環境に合わせて変化させる必要性はなくなっている。


次に進化するとしたら、脳くらいしか、もう残っていないような気がした。


進化する必要があるとしたら、人類が生き残るため、ようは、流行りのサスティナブルのために。


まあ、単に、いつでもそうだったように、遺伝子の突然変異が起きるだけかもしれないけれど。



新しい人類について書かれた、世界的ベストセラーになっている本もある。


もしも、誰がそうかはわからないやり方で進化する方法を選んだのだとしたら、人類は少しは賢くなったのだろう。


それから、頭は、交通手段としてのドローンに飛んだ。

2025年、私の住む町の空を、人を乗せたドローンが飛ぶかもしれない。

少し前に、その計画があると知事が言っていた。

万博だ。


タケコプター。という、水色の耳のない猫型ロボットの声が聞こえてきそうだ。

タケコプターが欲しい!という幼い頃の夢がかなうかもしれない。

もう、ワクワクが止まらない。



私が生まれてくることを選んだ、または、神さまが私を置いたこの時代。

人生の後半戦。


私は、どこまで、自分の目で見ることができるだろう?


できるなら、地球人以外の宇宙人も見たいわ。