事実誤認
セッションをしていると、事実確認を淡々としていくだけで、話が解決することがある。
本人が気づいていない事実誤認が存在し、実は問題は、本人の事実誤認だけということ。
事実に対する認識を変えるだけで、解決すること。
数としては、決して少なくない。
言葉を変えるなら、必要だったことは、その人にとっての真実の変容。
特に多いのは、過去には人生に影響した問題が、今は、本当は、もう人生に影響していないという事実。
起きている事象は同じように見えても、原因が過去と今では異なる時、過去と同じ理由が原因だとその人が思い込む間、本当に気づかなくてはいけない問題、または、願いに、その人は辿りつけない。
「いつも」は、いつも同じ理由では起きない。
いつも、と、認知するその人がいるだけだ。
この事実確認には、目や耳が使える。
心は使わない。
誤認を引き起こすのは心だから、徹底的に目と耳を使う。
何を見て、何を聞いた?
何を話した?
相手の理解も自分の理解も使わない。
事実だけを追求する。
すると、それだけで、誤認に気がつくこともある。
しかし、誤認を認めたくない自分に気づくこともある。
これは、問題にばかり起きるわけでもない。
変な話だが、満たされているということに気がついていない場合にも、これは起きる。
そこにあるものは、人それぞれだ。
この、そこ、は、心。