時間
小さな話の裏に、深層心理や潜在意識、または魂の計画、ブループリント、名前はなんでもいいが、それらが抱える果てしない野望としか表現しようのない願望が隠れていることは、よくあることだ。
誰にでも。
それが、意識化されたり、言語化される必要は、あったりなかったり。
野望という名の願望は、小さな話の積み重ねで達成されるから、それを知ることで、その人が小さな話をこなさなくなってしまうなら、その人には知らされないままだろう。
知らなければ、小さな話をこなさないならば、知る必要があるだろう。
どちらにしても、小さな話は、野望よりずっと価値があり、よほど大事だ。
小さな話、その瞬間こそが、全てだ。
さて。
私は、あまりに、小さな話のホームページに時間をかけている自分に少し前に違和感を抱いた。
いつものように、まあこの辺でいいかと、妥協しない。
そこに含むコンテンツも含め。
10年のまとめをしているらしいから、それもあるかもしれないとは思った。
しかし不思議なのは、作るものには、それほど時間はかけていない。
悩みに悩んだことは、わずか一時間で形になった。
自身のプロフィールは、5秒で一発撮り、編集30分で終わった。
クオリティには、それほどこだわりがない。
思考と試行錯誤には、よほど、時間がかかっている。
その時間配分もまた不思議だったのだ。
手間がかかるはずのところには、時間がかからない。
いつもなら、パッと短時間で終わるはずのところに、異様に時間がかかっている。
それで、私は、これは裏に何かあるなと感じはじめた。
私が気がついていない、何か。
違和感は、気づけというサインだ。
気づいたそれらは、主に、ブログのネタになる。
やがて、私は、時間の話かもしれないなと感じはじめた。
どういう繋がりがあるかはわからないけれど、ホームページは、時間と関係している話のようだ。
自分の過去から今へのタイムラインから解放されることと、ホームページは関係がある。かもしれない。
同時に、時間を無限に増やすこととも関係している。かもしれない。
タイムラインがあるから、時間は一本線なのだ。
タイムラインがなければ、時間から人は、もっと自由になれる。
思考の話だ。
物理的には、時間には線などないと、私が好きな科学雑誌の時間特集の中で、科学者は書いていた。
時間はないかもしれないとも。
時間は伸びたり縮んだりするらしい。
それらは、まだ未証明なものも多くあるが、そのうち証明されるとしたら、物理的現実と人間の思考に、ずれがあるということになる。
物理的現実と思考がずれている時、人は不自由を感じたり、うまくいかないことがでてきたりする。
これは、普通に日常的に。
何がどうだかさっぱりわからないけれど、時間とホームページは関係している。
今日はここまで。