怖くても大丈夫、僕らはもうひとりじゃない

最近のある日、私は、仕事終わりに歯医者に行き、その帰り道、ご機嫌にイヤホンで音楽を聴きながら歩いていた。
私は、人生の中の怖いものを克服して、大層気分が良かった。
その日は、治療終わりに、歯の磨き方がむちゃくちゃうまいとほめてもらい、歯医者さんやスタッフの人達に拍手までしてもらって、気分は最高に良かった。

歯医者と家の中間辺りで、ふと道路を見ると、車とバイクが衝突事故を起こしていた。
ちょうど車からドライバーが降りてきて、道路にしゃがみこんだバイクのドライバーに声をかけるところだった。
バイクのドライバーが立ち上がっていたのが見えたので、大丈夫そうだなと思い、私は足を止めずに歩いた。

そして、またすぐ音楽に意識を戻した。
私が聞いていたのは、「怖いものなんてない、僕らはもうひとりじゃない」という歌詞の曲で、怖くない歯医者に出会った私はまさにそんな気分だった。


その先の信号は赤だった。
私は横断歩道の手前で止まった。
なんとなく右側から視線を感じて目をやると、自転車にまたがった知らないおばさんが、私に話しかけているようだったので、私はイヤホンを外した。

「そこで事故してたん見た?」とおばさんは私に聞いた。
「あ〜、大丈夫そうでしたね」と私は答えた。

私が知らない人から話しかけられるのは、珍しいことではない。
小さい頃からそうだったが、最近、家の周りはお年寄りが多いから、余計だ。


おばさんは「私な、事故にあったことがあるから、事故見ると怖くてねえ」と言った。
私は「それは怖かったですね。でも、大丈夫ですよ」と言った。
おばさんは「ほんま。そやな。ありがとう。ごめんね。なんか聞いてはったのに」と言った。
私は「大丈夫です」と笑って言った。
おばさんは「事故見ると、怖いねん」とまた言った。
そこで信号が青に変わり、おばさんはまだ何か言いながら、自転車のペダルを漕ぎ始めた。
私は「大丈夫ですよ!お気をつけて!」と後ろから少し大きめの声で言った。

それからもう一度イヤホンを耳にはめると、音楽はちょうどサビの「怖くても大丈夫、僕らはもうひとりじゃない」のところだった。

そしてそこで、私は、突然はっとなった。

おじいちゃん!

私は長い長い間、いつか祖父のようになりたいと思っていた。
今、起きたことは、まさに祖父がしていたことだと私は気がついた。

なった!と私は思った。
私は、そうか、ただ道を歩けば、おじいちゃんになれる!と気がついた。
人はそもそも勝手に話しかけてくるのだから、私はほんの一、二分、ニコニコ笑ってちょっと話せば、それでおじいちゃんの出来上がりだ。
なんだ、簡単じゃないかと思った。


それから、今日はなんてすごい日だと私は思った。


私は私の怖いを歯医者さんに助けてもらって克服し、その帰り、知らない人の怖いが少しだけ和らぐように、大丈夫ですよと笑った。

まさに、怖くても大丈夫、僕らはもうひとりじゃない、だ。


私は、そうか、おじいちゃんには怖いものがなかったんだなと、なんとなく思った。
そして、それにしても、今日はなんだかうまく言えないけど、とてもいい日だと思った。


家に帰ると、夫の母から送られてきた包みが宅配ボックスの中で私を待っていた。
中には、洗面所に置く時計と、赤い花柄のマリメッコのエプロンが入っていた。
お礼をいうために、夫の母に連絡すると、「仕事で使うでしょう?」と言っていた。


私は再び、なんだか今日はとてもいい日だと思った。

夜遅く、夫がケーキを持って帰ってきて、二人で千鳥の相席食堂という関西ローカルの番組を見て、ゲラゲラ笑いながら食べた。
お笑いは関西ローカルの方が面白いことが多い気がする。
全国ネットになると、芸人さんは、少しスマートにやり、言葉をやわらかくし、えげつなさを抑えるので、私には物足りないことがある。
それにしても、馬鹿馬鹿しさ極まるヒットの回だった。


それが、私の四十六歳の誕生日だった。


怖いものなんてない、僕らはもうひとりじゃない。
怖くても大丈夫、僕らはもうひとりじゃない。


そんな感じの一日だった。