インプット

ここ数日、動画から、ものすごく沢山のことをインプットしている。

年末から風邪で寝込んだ。
寝込んだ初日はほとんど眠っていたが、翌日からは、布団の中でスマホで動画を見つつ、うつらうつらしていた。

見ていた動画は、漫才、コント。
年始年末、関西は特に、それで溢れかえる。
子供の頃から、年始年末はお笑いや漫才番組を見て過ごしてきた私は、その昔一度だけ、ほとんど知り合いもいない東京で新年を迎えた年、お笑い番組の少なさにホームシックを感じた程だ。
テレビから流れる笑いの量が少なかったのだ。
とりあえず、深いことは考えずに笑っておけが、私にとっての年末と新年だ。


そういうわけで、私は、寝転んで、半分眠りながら、笑いをインプットしていた。

新しい種類の笑いも沢山生まれていた。
スマートな感じの笑い。

それから、今の若い人には新しく見えるかもしれないけれど、どことなく懐かしい笑いが、再び息を吹き返しているような気配も感じた。

昭和の笑いのエッセンス。
年末の漫才コンテストで優勝したのもまた、懐かしい種類のしゃべくり漫才だった。
ただし、フレーズは新しかった。
マカロンのひいじいさんが、もなか。
昭和の漫才に、マカロンは登場しない。


時代は巡るものだから、笑いもまたそうなのかもしれない。
令和はもしかしたら昭和と少し、似ているのかもしれない。


昭和に置いてきてしまったものの中で、やっぱり価値があったのではないか?と思われるようなものを取り返していく時代なのかもしれない。
形を変えながら。

何を面白いと多くの人が感じるかは、時代によって変わる。
そしてそれは、少しばかり、時代によって異なる人の距離感みたいなものを感じさせる。
漫才やコントの笑いは、人と人の関わりの中で生まれる笑いだから。


インプットと同時に、年末、私は、メールとSNSを一時的に完全に排除した。
アプリは一旦削除し、スマホで着信を知らせる機能を電話以外はオフにした。

こちらも昭和に戻した。
しんどかったからだが、昭和と同じ程度にしか誰とも繋がらない時間は、リズムを戻した。

私は普段はSNSも好きだが、生まれた時からSNSやメールがある中で育ったわけではない自分には、これはたまに必要な時間かもしれないと感じた。

リアルなつながりがある人以外とつながらない静かな時間。
電話で割り込める関係性だけにつながりを絞ること。


面白かったのは、猫たちが、私と同じ布団でずっと眠っていたことだ。
割とおとなしく。
ゴロゴロ言いながら。
普段は、遊べと騒ぐ猫までも。

猫は、ゴロゴロ言って癒すらしいので、回復に協力してくれていたのかもしれないし、ただ、暖かいところにいただけかもしれない。


ぐっすり眠って、たくさんインプットをして、今年はゆっくり始まった。