ピアノの先生

小学生の頃から二十四歳まで教わったピアノの先生は、変わった人だった。

母に連れられて、妹と一緒に初めて先生の元を訪れた時、先生はまだ音大生だった。
私と妹は、先生に度肝を抜かれた。
先生が茶髪で短いズボン(ホットパンツ)にラフなTシャツを着ていたからだ。
おまけに、手も足の爪もマニキュアで真っ赤だった。

私と妹は、それまでの三年間、別の先生についていた。
その先生はいつでも、ベルベットのジャケットに、紐ブラウスのクラッシックないでたちだった。

目の前に現れた新しい先生は、まるで様子が違った。
私は、不良だと思った。


レッスンがはじまると私は先生をすぐに好きになった。
そして、三十分あるレッスンのうち、半分は、先生とおしゃべりするようになった。

子供の頃の私は、楽譜を見れば、初見ですぐに弾けた。
ピアノは毎日弾いていたが、課題とは違うものばかり弾いていて、課題は、先生の家で初めて見る有様だったが、先生は「また今見て弾いてる?」と聞くだけで怒らなかった。

爪を伸ばしても怒らなかった。
友達が学校でよく「ピアノの先生が爪を切れってうるさい」と言っていたので、ある時、私は先生に尋ねた。
「なんで怒らないの?」

先生は言った。
「爪が邪魔になったら、言わなくても、自分で気づいて切るでしょ。ピアノを上手に弾くのに爪は邪魔だから、そのうち、自分で勝手に切ると思ったわ」と笑った。

ピアノの発表会。
先生はいつも、私が、絶対にこれは弾けるようにならないと思う曲ばかり用意した。
妹には違った。

私は、聞いた。
「なんで?」

先生は言った。
「あなたが、ちゃんと課題を練習してくるのは発表会前の三カ月だけだから、一年分を三カ月で成長してもらうためよ。楽しいわよ、この曲。先生、大好き。」
三カ月後、曲はいつも、ちゃんと弾けるようになっていた。


ある頃から先生は言った。
「あなたは、ジャズの方が向いてるかもしれないわねえ」
私が勝手に、楽譜をアレンジして弾き始めたからだ。
「それもいいけど、でもね、クラッシックは楽譜通りに弾かなくちゃだめよ。はい、やり直し」と先生は笑った。


その頃、私と母の関係はえらいことになっていた。
先生は、私の話を毎週聞いてくれた。


高校生になると、先生は、私を音大に行かせたがった。
やがて、家庭的にそれは無理だという話になった時、先生に言ったことを、最近、思い出した。
「英文科に行きます。いろいろ考えたけど、他のことは、後からでも勉強しそうな気がします。私が自分ではやらなさそうなのは英語だから、英文科にします」と、私は確かにそう言った。

そしてその後、先生がそこで教えるのをやめるまで、私は先生に習い続けた。


三十六歳になった年、偶然に再会して、先生が再び現れた。
先生は言った。
「結婚しなさい。あなたが結婚しない限り、私は、あなたを一人前とは認めないわよ。」
そして、先生は、たまに私と会い、いろんな話をしてくれた。
ある時、私は先生に言った。
「先生がいなければ、私の中学、高校時代はもっと大変だった。お母さんとのことも。」

すると先生は言った。
「あなた。でも、あなたを私のところに連れてきたのは、あなたのお母さんよ。お母さんが、あなたに私を与えたのよ。あなたに私が必要だったのだとすれば、お母さんはちゃんと、あなたに必要なものをあなたに与えたのよ。
お母さんは、あなたに逃げ場をちゃんと用意してくれたのよ。
私にではなく、お母さんに感謝しなさい。」


私が結婚したとき、先生は、「これで私の役目も終わりかな」と言って笑った。



ピアノの先生は、今はもう、ピアノは飽きたとピアノの先生はしていない。
人の世話ばかりしている人だが、先生は、きっと今日も軽やかに生きている。


私が先生に教わったのは、音楽の楽しさだけではなかった。
自分の幸せを願ってくれた親以外の大人がいたこと、だれかの幸せを願うということはどういうことかを教えてくれたことに、今も感謝している。