私の空間を整える:空間のちから

空間が人の心理に影響を与えることは、よく知られたこと。

例えば断捨離や模様替え。
部屋の中の物を処分して、物理的空間から物を減らすことで、心の中もすっきりする効果がある。
家具の配置を変えれば、気分が変わる。


例えば旅。
場所を変えて、いつもと違う空間で過ごすことで、人の心に様々な効果が生まれる。


例えば心理的距離。
パーソナルスペースとも呼ばれるが、他者との間の心の距離の取り方や、自分の周りに作る心理的な空間いかんで、人生における快適さは変化する。


人の周りには、様々な空間がある。


さて。

最近のある朝、突然、私は、自分のコンディションに最も影響を与える三つの空間に気がついた。
私は、それらを空間として認識したことが、それまでなかった。


睡眠(夢)、胃の中、口の中がそれだ。


その朝、私の体は羽根が生えたように軽かった。
前の夜、友人の知恵を借りていて、友人が薦めてくれたことをしてから眠っていた。
その朝は気分も、空を飛べそうに軽かった。

その前日まで、私はとあることで頭を悩ませており、振り払っても振り払っても去らない雲のようなそれに、うんざりしていた。

ところが、ただ眠っただけなのに、起きるとまるで違う場所を旅して帰ってきたみたいに、何もかもが解決していた。
現実は何一つ動いていない。
ただ、私の悩みは消えていて、もはや悩みではなくなっていた。

睡眠すごい!と私は感動すらした。


そしてそれから、なんとなく、睡眠時間は空間だなと思った。
起きてる時間と切り離された空間。
その空間で解決できることがたくさんあるな、大事にしよう、睡眠という空間、と。


そしてそれから、そうか、胃と口の中も、そういえば空間だと思った。

昨年から私の心は、この二つの空間に関わることが巻き起こすあれこれに、振り回されがちだ。

整える必要があるのは、胃の中と口の中の空間だ、と、私は思った。
それらを空間だと認識した。


すると何が起きたかというと。

ここにも書いたことがあるが、私は、病院が大嫌いだ。
行くと調子が悪くなる。
健康診断では、血圧、心電図が異常すぎて、何度も測り直しになる。
歯医者は、恐怖症に近い。

その、病院に対する認識が少し動いた。
病気や痛いところ、悪いところを治してもらいにいくのではない、空間を整えにいくんだと。

次に起きたことは、なぜにこれを今までやらなかったかと思うようなことだった。
なぜ、やらなかったのだろう?
私は都会に住んでいて、病院は選びたい放題なのに。

そう、私は、病院を選ぶ作業をした。

私は、怖くない、優しい、腕がいいと評判の病院を探した。
病院嫌いに理解あるお医者さんを探した。

病院もまた空間だ。

私は、空間を整えるのに必要なものは、居心地のよい空間だと思った。


そしてそれから何が起きたかというと。

私は、まあどうして今までここに気がつかなかったか?という病院と歯医者を、どちらも自分の家から10分以内のところに見つけた。

何しろ、私の家の周りには病院と歯医者が乱立している。
選びたい放題だ。



そして、私は、見つけた歯医者と病院に行った。
検査のために。
だいたい、これまで、検査のために病院に行くなんてことはしたことがない。
近寄りたくないからだ。


そして、歯医者で虫歯をひとつ発見され、治療してもらってみた。
あまりに怖かったら笑気ガスを使ってくれることになっていたが、歯医者さんは「3歳の子でも平気な顔してますよ。治療を痛がる患者さんは、うちにはいない」と言い切った。

実際、まあ、どういうことか。
他の歯医者さんなら、麻酔を使わずに痛みを我慢してくださいと思われる内容の治療だったが、そこでは、麻酔の前の麻酔まであり、治療はちっとも痛くなかった。
私は、その空間の居心地のよさに眠りそうになっていた。
歯医者でリラックスして眠りそうになるなど、私の人生において前代未聞である。
笑気ガスは必要なかった。


私の頭は、心理的には「麻酔の前の麻酔」はどうやればテクニカルにできるだろう?と、なんとなく自分の仕事を考えた。
すごい余裕だ。
恐怖に支配されない心と共にある頭は、違うことを考えるものだ。


それから、私は、同じ日に病院にも行った。
こちらのお医者さんがまたよかった。
家から3分、なぜ、今まで気づかなかったのだろう?
胃が専門なのに。

お医者さんは、すごく丁寧に話を聴いてくれ、すごく丁寧に診察し、そして、前の病院の診断に少し首を傾げ、検査をひとつした。

そして、「これは痛むでしょう?」と私に尋ねた。
はいと私が言うと、胃痛用の痛み止めをくれた。

お医者さんが真っ先に気にしたのは、私の痛みだった。


そして、二人のお医者さんから私は学んだ。
痛みを気にかけてもらうのが、こんなに救われた気持ちになるとは。

いまさらな学びだが、私の心は割とタフで痛みに強い。
自分に関しては、傷ついてもそれがなんだ、ここまで何回傷ついて、それでもまだちゃんと生きてる、私は心が傷ついたのでは死にはしないとすら最近は思う。
生きていれば、ばんばん傷つくが、やりようで、治ると知っている。
(他人については、そうは思わない。私はかなりタフ)

だから、個人的には、心の痛みには共感をあまり必要としない。
わかってくれてありがとう!となったことがあまりない。
わかったふりすんなと思ったことの方が多い。(だから、自分が傷ついたことは人にあまり話さない。そのうち治るし)


痛いを気にかけてもらうと嬉しい、わかってくれてありがとう!と思う体験を、私はした。

胃と口がもたらした新たな体験だ。
これはものすごい!と、私は思った。


そして、眠りの空間がもたらした軽やかさから、その二つの空間と向き合った結果、私の心の中は満たされた。


捉え方が変わり、ひとつ変わると、思考は連鎖する。
自分が空間に求めるものは、軽やかさ、快適さ、痛みがないこと。

自分については、睡眠、胃と口の中を整えておけば、だいたい人生大丈夫そうだと思った、その後。


私は、最初に抱えていた悩みについて、自分は何が起きればいい思っているかに気がついた。


そして、いやはや、空間の力は偉大だと思った。
そして、その空間に、どういう人が関わるかは重要だと思った。
そして、それらをどういう状態にするかは、自分がきちんと向き合う気になれば、自分で選べると再確認した。


睡眠、胃と口の中。
快適に整える努力をしよう。
お医者さんの力も借りながら。

そして、結局、ひとりで整えられる空間はあまりないなと思った。

どこまでいっても、人には感謝するしかない。