後光さす人
人生の中で後光がさしている人を、私は一度だけ見たことがある。
本当にライトがその人の背中にさしているように、光り輝いていた。
その人は、足を引きずりながら、苦しそうに階段を一段一段、登っていた。
その人はM先生だ。
その後、授業の間も、M先生は輝いていて、ほとんど光が先生を包んでしまうみたいになり、先生の姿は少し霞んだ。
先生は、命を削って、教えていた。
声も小さくて、かすれた声で、絞り出すように話していた。
八十歳過ぎていた先生の体はすでにボロボロだったが、彼は仕事を辞めなかった。
心、に関わり続けていた。
そしてそれが、私が先生から受けた最後の授業になった。
その後、私は、先生が病気で入院したと聞いて、ピアノで自分が作曲した曲を弾いたものをカセットに録音して、先生に送った。
先生から、ぶどうの木の絵が描かれた便箋で手紙が届いた。
あなたは本当にロマンチェストですね。
明るい場所を歩きなさい。
優しいメロディをありがとう。
そこにはそう書かれていた。
そして、次に私が先生に会った時、先生はもう棺の中にいた。
私は彼の人生の最後の三年間に滑りこみセーフで、彼と出会うことができた。
人生の中に奇跡みたいな出会いは何度かあるが、あの出会いは、私の人生の中に起きた出会いの奇跡の一つだ。
たった一人が自分の人生を変える、そんな奇跡。
先生のお葬式から、私の本当の人生やり直し物語はスタートした。
先生の写真を見ながら、私は、「やらなくちゃいけない。もう逃げちゃいけない」と思った。
二十八歳の初夏だった。
そして、私は、当時の夫に言った。
「私と離婚して欲しい。」
私に心理学やカウンセリングの手ほどきをしたのが、別の人だったら、その後の私の考え方はまた違うことになったのではないかと思う。
今、考えると、M先生が私にしたアプローチは、カウンセリングというよりは、コーチング的なアプローチだ。
彼は、コーチング的なアプローチで、リソースを使って、私の傷を癒す方法を私に教えた。
「好きは全てを乗り越える」ということを私に教えて。
関係性を癒す方法としても、「相手を好きになること」を、先生は私に教えた。
それが一番早いと教えた。
他人を好きになるには、自分を好きになる必要があることも教えた。
人間は、何かや誰かを理解できなくても、何かやだれかを好きになることはできると教えた。
そして、好きなことは、理解できているよりずっと大事なことなんだと教えた。
この二十年以上、私を支え続けたものは、あの日見た光り輝くM先生の姿だ。
死が近づいた時に、あのように輝いていた人の言ったことはきっと本当だと思ったからだ。
随分経って、「好き」に重きをおく技法と出会った時、私はこれが自分が最後に勉強するものだと思った。
読めば読むほど、その哲学は、M先生の話に似ていた。
だから、私は、その考え方は新しいとは感じなかったのだが、それが形になっていたことに感動した。
その中で、新しい師に出会った。
その人に出会った時、M先生に出会った時のように、胸がポカポカした。
そして、また数年経って、最近、私はよくM先生が階段を登る姿を思い出す。
そして、ふと、なんとなくだけど、自分の人生はまだまだここから先が長いと感じたりする。
先生は、心が好きだった。
私が、本当に本当に好きなものはなんだろう?私がずっとやり続けてきたことはなんだろう?と考えたりする。
基本的には好きなことしかやっていないが、死ぬ間際に光り輝けるほどやり通せる好きなことは何だろう?と。
新しい何かではなく、私がすでにしていることの中に、それはあるはずだ。
私は、好きなものには気づかない。
やりたいことにも気づきにくい。
私は、頭がやりたいことをやりたいと思う前に、体が動いていることが多い。
やっていることを、やりたいと、人は思わない。
M先生の最後の授業が始まったような気がした。
後光がさした人は、その死の後も、いまだに、もう一言も語ることなく、ただその生きる姿勢を見せてくれただけで、いまだに、私に教え続けている。
そして、そういう人は、目立つ場所にではなく、どこにでもひっそりといると。
よく目をこらしなさい、と、私に教える。
人の人生は尊いなと、思う。