50歳というポイント

「あなたが本当に自分の仕事をし始めるのは、50歳過ぎてからだと思いますよ」とか、「まだ今からが本番だね」とか、「はっきりわかるのは、もう少し先」とか、過去、いろんな人が私によく言った。

私は、よく、遠いわ!と思ったが、気がつけば、50歳はもうそんなに遠くないところにある。
そう遠くない先に、今、に来る。


「君はまだ若い。25年かけて作った思考回路を完全に作り替えるには、25年かかる。両親が君に与えた思考回路が君を苦しめるなら、君が自分で、自分の思考回路を作ればいい。君はまだ若い。やってごらん」とM先生が言った時、途方もない先に見えた「私が作る思考回路」は、あと少しで、その全責任が私自身にのしかかる。

25歳の時、全部親が悪いくらいに感じられたそれも、今はもう、私は、例え親であろうとも、大人になった後に、その子供が何を幸せと感じるかは把握しきれないということを知っている。
子供の幸せについては、親にその責任の多くは依存せざるを得ないが、大人になってある程度の時間が過ぎた後、特に40歳以上の人の幸せについては、その人を育てた親には責任が全くないと、私はすでに考えている。
大人になった後、その人自身がどう生きてきたか、どう周りの人々と関わってきたかの方が影響が大きいだろう。
親がその人を牢屋に閉じ込めていたのでなければ。(そういうことも、時にはあるかもしれない。)


私個人については、命を与えてくれたこと、命がある状態で大人になるまで育ててくれたこと、教育を与えてくれたこと、それで十分で、それ以外は、ただそこにそれぞれの人の人生があり、生まれて初めて子供を育てた人たちがわからずにやったことや、家族一緒に生きた時に起きたことというだけの話だ。
子育てを習ってから、子供を育てる親はいない。


そして、50歳近くなった今、私は、両親の思考回路や行動から得られるリソースを、少しだけ逆輸入し始めている感じがする。
自分の育った時期の記憶を書いてたどることで。

時代が変わっても変わらないものを、その中に探すことで。


過去を今と完全に切り離す作業から始まった私の心と思考の旅は、50歳が近づくにつれ、もう一度、過去を見直す作業に入っている。

痛みを抱えた人は見落としがちな、そこにあった別の側面を拾うために。
子供には理解できない大人の視点で、そこにあった大人だけが使えるリソースを拾うために。

両親は、遺伝子が近い。
両親が使っていたリソースは、私には使いやすいはずなのだ。
その中には、古い時代から脈々と、同じ遺伝子を持つ人たちが受け継いで来た、時を重ねたリソースが含まれているはずなのだ。
過去には、悪いものと同じように、いいものが含まれている。


ただ時を重ねることで、ここまで自分の感じ方が変わるとは思わなかったが、私の思考回路は、今、過去を全く否定しない。


そしてきっと、それが終わったら、本番なのだろう。

過去と今が完全に統合された時、本当に今しかない未来がはじまる。
今というものがたりがはじまる。
そんな気がする。