願いはネタにしてはいけない
続き。
これはすごくローカルな話になるけれど、私の住む地域は、多くの人が笑いを取りに走る。
関西だ。
どんな美人も、美男も。
全員ではないが、笑いを好む人が多い。
そして、自虐ネタは、誰も傷つけずに笑いを取れるネタとして、多くの人が採用している。
私も採用している。
幼い頃からその中にいる人々たちは、他の地域の人が眉をひそめそうなことまで笑いに変える。
闇であればあるほど、笑いのネタになる。
だいたい面白ければなんでもよい、というムードも確かに漂っている。
芸人さんが、よく、ローカルと全国の差を見誤って炎上している。
関西だけでなら、あほちゃうかと爆笑ですんだものは、全国的には叩かれまくる。
それは、人の失敗に対する寛容さや、起きた出来事を客観視することによる癒しの効果や、まあ、よいことも様々にある。
大学時代に、地方から出てきた友人は、私に聞いた。
なぜに、みな、自分が失敗した話をあんなに嬉しそうに得意げに話すのだと。
答えは簡単だ。
ウケるからだ。
これを笑いにしてはいけないというタブーは少ない。
親の死さえ、笑いに変える時もある。
聞いた人も笑う。
(話す人は選ぶ)
私は祖父の葬式という鉄板ネタを持っているが、名古屋から東では話さない。
まあ、、、となるからだ。
関西だと大爆笑。
願い、という点に話を絞る時、これが足を引っ張る。
願いは、ウケなくていい。
願いは、ネタにしなくていい。
いや、ネタにしてはいけない。
1人目の例を関西弁で行こう。
スタバに行きたいねん。
でも、そこちょっと離れてんねんな。
ほら、私、車ないやんか。
だから行かれへんねん。
先に、車買えって話やんな。
そして、この後、おそらく、あはははは〜と笑う。
話を聞いていた相手も、まず笑う。
ほんまやで、あははは〜。
(ネタだと思ったので、まじめに受け止めていない)
ほんでさあ、、、(別の話題に移る)
願いは、ネタにしてはいけない。
ほんとよ。笑