完璧な一日が教えたこと

日記。

昨日は私のお祭りだった。
この個人的なお祭りのために、1月からたくさんの人が時間と労力を割いてくれた。
感謝しかない。

そのお祭りは、人生の節目を作る類のお祭りで、イメージとしては、割とおごそかな感じだが、私の頭の中では最初からお祭りイメージだった。


よく晴れた朝だった。

そして、朝、夫にお祭り会場まで送ってもらう途中で、行き慣れたその場所までの道を、夫が間違えた。
その場所へ私はちょこちょこ行くが、朝に行くことが多い。
私は朝が苦手だ。
動きが鈍い。

それで、私が朝起きれなくて時間に遅れそうになるので、半分くらいは夫が送ってくれるからだ。
夫は、なぜかは知らないが、その場所に私が遅刻しないように使命感すら抱いているように見える。

それなのに、道を間違えた。

そうしたら、間違えた先に、スターバックスが現れた。
日本で、スターバックスが、普通の住宅街にポンと建っていることなどまずないが、そこにはスターバックスがあった。

なんで?と私たちは笑った。


そして、時間に余裕があったので、私たちは、朝ごはんを食べることにした。

おかげで、私は朝から、この世で一番好きなパン、シナモンロールを食べることができた。
温かいミルクティーを飲みながら、私は、今日はやはりお祭りだ、と思った。
なんだか朝から祝福されている気分だった。

会場についたころ、母からメールが届いた。
母は昨日のお祭りを知っていた。
そして、母はメールに、今日は晴れてよかったね、と書いていた。


そして、お祭りの時。
お祭りは、のりのりの歌ではじまり、それから少しばかりのセレモニー。
歌は、自分の好きな曲をみんなで歌うというので、自分で選んだら、のりのりの曲ばかりになった。
ピアノの伴奏で歌を歌った。

私のお祭りには、ちゃんと、ピアノの音と音楽があった。
ピアノを弾いていたのは、一流の奏者。
私はBGMにはうるさいが、音楽も完璧。


そしてそのセレモニーが普通おごそかなイメージなのだが、私は、その瞬間、大爆笑していた。
お腹の底から、笑いが込み上げてきたからだ。

実際、おかしな出来事があったのだが、まあともかくおかしくておかしくて、なんでこんなに面白いのかというくらいで、私は笑いが止まらなかった。

周りの人も大笑いしていたらしい。

笑いがそこにあった。

そして、お花と3冊の本、マグカップをプレゼントしてもらった。

お花、本、マグカップ、がそこにあった。
全部好きなもの。


そのあと、少しばかりの時間、美味しい食べものを前に、気心知れた人達と楽しくて暖かいおしゃべりの時間を過ごした。
少しばかりの議論と。


おしゃべり、がそこにあった。
少しばかりの議論も。
暖かい心もそこにあった。


整理しよう。

晴れた空。
夫が送ってくれること。
シナモンロール、ミルクティー。
母からメール。
気心知れた人たち。
ピアノの音。
のりのりの音楽。
歌。
笑い。
お花。
本。
マグカップ。
おしゃべり。
心が暖かいこと。
少しばかりの理論的解釈に関わる議論、討論?


つまり、これが、私の人生が完璧な一日であるのに必要な要素の1パターン。

好きなものを集めた一日。
リソースフルな一日。

平和な一日。
そして、人と分かち合える一日。


メタファーやシンボルの意味は、記憶と体験が作る。
昨日現れたものは、リソースのシンボルとして、さらに意味が強化されたに違いない。
昨日一日は、メタファー。


つまり、一日一日、どのように日々を過ごしていけば、リソースが強化され、個人にとって完璧な人生を作っていけるか、また、しんどい時にその人を助けるシンボルやメタファーを作っていけるかを、私は昨日一日かけて、もっというなら一月から、学び続けていたらしい。


その中での、自分の人生、使命を見ることと一緒に。


お腹の底から笑え、その時、周りに平和が生まれる、と何かが私に教えたよう。

誰よりも楽しめ、と。

昨日私が得たものは、人生の使命のアップデート。

命が終わるまで生きる、から、笑い楽しみ人生を生き、周りに平和を撒き散らすこと。

笑うこと。
お腹の底から笑えること。

他人に協力してもらいながら自分のやり方でやること。
その中での議論、討論に喜んで心を開いておくこと。


君が他人に分かち合えるものを全部教えたよ、君が元気になる方法も教えたよ、さあ、後はただやりなさい、と何かが言った。

分かち合いなさい、と何かが言った。