理解したいように理解する

セッションをしてると、「人は自分が理解したいように世界を理解する」はほんとだな、とよく思います。

どうとでも意味が取れる質問を使って、私はセッションをします。
しかし、一応、そのどうとでも取れる質問にも意味はあり、ある程度、答えが絞られるかもねと予測される質問もあります。

例えば、こんな質問。

「その〇〇に、大きさや形はありますか?」

この質問は、何かイメージ上の物があって、そのサイズや形状がはっきりしてないと予想されるときに、それをはっきりさせて、その何かに対するクライアントのイメージをよりはっきりさせるのを手伝う質問です。

ようするに、クライアントが何かの大きさや形を、まだ言葉で表現していない時に使います。

尋ねているのは、大きさ、形。


でも、クライアントさんは言います。

〇〇は、机の上にあります。(場所)

〇〇は、赤色です。(色)

〇〇は、そうだな、多分、私は〇〇のことが好きです。(感想、評価)


私が尋ねたこととは、違う内容の答えが返ってくることは時々あります。
答えたこと、そちらの方がクライアントさんにとっては意味のある情報なのでしょう。


それから、何が起きればいいのでしょう?と未来について質問して、起きて欲しくないことを延々と話される場合や、すでにあった過去の出来事の話をされることは、もっと頻繁にあります。

セッションは国語のテストではないので、全部正しい回答です。

私の尋ねる質問は、クライアントさんの頭の中で、自分が答えやすいように変えられています。
私が使う質問は、そもそもそういう風に作られているものなので、それでいいのです。
答えたいことを自由に答えてくれればそれでいいのです。
クライアントさん自身が理解するのを手伝うために私は質問するのであって、私が何かを知りたいから質問するのではないからです。

先程の最初の例でも、クライアントさんは、何かがある場所を知り、色を知り、その何かについて自分がどう評価しているかを知り。
新しく何かについてはっきり知ったわけです。

それで十分です。
きっと大きさや形は、私が、次の別の違う質問をしたら現れます。なぜだか、そういうものです。
まあ、つまり、私の質問する順番が、そのクライアントさんが物を考える順番にぴったりはまらなかったのでしょう。
私の経験不足のなせる技です。

物を考える順番、イメージを組み立てる順番は、人によって違うからです。
初めてさせていただくセッションで、これは時々起こります。

私はエスパーではありませんが、あと20年くらいすれば、初めてのクライアントさんでも、ぴたりと順番もはまるようになるかもしれません。


後の例については、私の事情は関係しないため、こちらはクライアントさんが答えたいことがそうだったという話です。
答えたいこと、答えやすいことに合わせて、質問が頭の中で変更されたのです。
質問に答えるために。


だから、クライアントさんの答えにはなんら問題はないのですが、ただ、人は世界を理解したいように理解するはほんとだな、と思うのでした。

これはセッションの時だけに起きている事象ではないと思うからです。


聞いた話、目にする出来事、それらもきっと、質問を聞いた時と同じように、自分の中で意味が変えられていくものなのでしょう。

自分が理解しやすいように。


私は最近、プライベートのある場所で、自分の意見を話す機会が割とあります。
先日、ある人が、私がこう言った、という話をしていました。
笑い話なのですが、私自身には、その話をした記憶が全くありませんでした。

なんと不思議なと思った私は、後から考えに考えて、あれか?とあるひとつの話に辿りつきました。

そこまで変わっていることは珍しいのですが、そのある人が私が言ったと言って話してくれた話の中では、私が選んで使った単語が全てその人独自の違う単語に変わっていたのでした。
そして、その単語は、私の頭の中では、自分が使った単語とは意味が違うので、私には違う話に聞こえたのでした。


その人がほんとのところ、私の話をどう理解したのかは、私には未だもってわかりませんし、この先もわかることはないかと推測されます。

ただ、楽しく笑えたので、それでいいかという感じなのでした。


きっと同じことが、逆の立場、自分にも起こり続けているはずで、分かり合えているという思い込みは非常に危険な発想ね、さらに注意しようと思ってみた感じでした。


言葉の意味が違うなら、もう無理。

でも、「心」は通じ合える。


してみると、心は、言葉の外にあるのかいな?と、思ってみたりするのでした。


その「心」はどんな心で、心が通じ合っている時、何が起きるのでしょう?


答えは、言葉で。


そして、その言葉がちゃんと他人に伝わるかは不明。
でも、心は伝わるかも。

で、その心は伝わる、伝わるその心は、、、、と、エンドレスに禅問答できるのでした。


そういえば、セッションのあと、これは禅ですか?と尋ねた方もおられました。

言い得て妙。


他人は理解したいように理解する。
自分も理解したいように理解する。

だからこそ、自分の理解を自分が尊重し把握し、理解しておくことは重要だな、と思う次第でした。


だって、この世の中で、たったひとりだけ、自分の思いを「正確に」理解できるのは、自分だけなんだもの。

心は分かち合える。
伝わる。つながる。

思いという語る言葉の意味を理解できるのは自分だけ。

でも語る。

言葉は現実を作るから。
そして、言葉には、心が乗っているから。


やっぱり、言葉は心も伝える。


頭こんがらがりそうな話。