頭の鎖

頭の鎖。これはメタファー。

考えたくないのに考えてしまうもののことを、私は、頭の鎖と呼びます。
これは、フィットする名称は人によって違います。

もしも今から書く話が、自分にも当てはまるかもと思った方がいたら、自分のは何かな、、、と、自分なりの名前を見つけて読んでください。


頭の鎖。

考えたくないのに考える。

これは、悪循環です。
どこかのタイミングで、脳が何かを間違えて、ちっとも大事じゃない情報を大事だと思いこんでしまった状態。


そして、しょっちゅう頭にそのことが浮かぶように。
なぜならば、大事だと脳が思いこんでいるから、それをどうにかしようと考えさせようとする。


私は、あまりに頭に浮かぶことがある時は、はた、、、とある時立ち止まり、これ、大事なこと?と考えてみるようにしています。

大事なことだ、と思えば、ちゃんと向き合ってみますが、半分くらいは、大事じゃない。
なぜだか知らないが、頭がこだわっているだけのこと。

その中には、以前は、考えなくてはいけなかったけれど、もう今は、考えなくてもいいことが含まれている場合もあります。

例えば、学校を卒業しちゃったのに、学校の自分の成績を考えるみたいなこと。
終わってしまえば、学校の成績は、今この瞬間の人生で、考える必要はありません。
テスト前に考えなければいけなかったこと。
もう、どうにもできません。

人生がよくないのは、テストの成績のせいだったとしても、テストの成績のことを考えるのは非生産的で、ほかに山のように、人生をよくする今からできることがあり、大事なのはそちらです。


でも、脳というものは、たまに何か誤解するようで、考える意味がないテストの成績のことを延々と考えさせてみるようなことが、たまにあります。


こういうとき。私はどうするかというと。

それが浮かびそうになった時、「大事じゃないから」と自分に言います。
それ、大事じゃないから。

それでも浮かんだら、次にはこう言います。

私、それ、考えたくない。
そのことについて考えたくない。


これは、自分への指示です。
本気で思います。


それでもだめなら、ついには、口に出します。

そのことを考えたくない。
やめて。
大事じゃないから。


ここまでやりますと、過去の統計では、おおむね、1週間程度で思考にその頭の鎖は浮かばなくなります。


メタファーでやってもいいんですけども、これくらいであれば、普通に指示を出せば、まあ、聞いてくれます。

自分の望みは、何よりも強い。
意思といいますか。


まるで、自分が2人いるようだとたまに思います。
指示を出す自分と、指示を聞く自分。

どちらも自分。
ただ、たまに、望みと違うことを指示を聞く自分はやってのけます。

望みを知らないというか、望みを確認するルートが違うのかも。


言葉にすると、どちらもの合意が取れます。

どちらの望みをどちらに伝えるかで、メタファーがいい場合と、普通の言葉がいい場合とがあるような感覚がしています。

意識が理解してない時と、無意識が理解してない時によって、または、体と心のどちらが理解してないかによって、言葉が変わるのかもしれません。


大事じゃない。
考えたくない。
やめて。

いつも、しばらくこれを繰り返していると、気がつかないうちに頭の鎖は消失しています。

そして、頭が軽くなります。


割と使えますので、よければお試しを。