ある結婚のはなし
夫の話。
私は彼を18歳の頃から知っていた。
彼は、アルバイト先の先輩だった。
十数年の時を経て再会した頃、夫は負のオーラとしか言いようのないものを漂わせていた。
何をやってもうまくいかないと、本人も仕事で悩んでいた。
話を聞いた私は、そりゃ、あんたが悪いとあっさり思った。
しかしあまりにも思考がぐだぐだで、私は見かねて、相談に乗ってやってもよい、ただし、無料はいやだ、食事を奢れと言った。
夫は言った。
では、相談ということでなく、ご飯を食べに行きましょう。
待ち合わせの場所に歩いてきた私を見て、夫は、私は結婚相手だと思ったのだそうだ。
私?
何も感じなかった。
その日、私は、仕方ないから話を聞いてあげよう、あんたが悪いと教えてあげようと思っていたのだ。
そして、訪れたレストランでは、不思議なことが起きた。
負のオーラに満ちた人が選んだレストランには、その日、なぜだか誕生日の人が何組もいた。
店内では、しょっちゅう、ハッピーバースデーの曲が流れ、おめでとうという言葉が飛び交っていた。
なんともおめでたい雰囲気が、レストラン中に流れていた。
話を聞くどころの雰囲気ではない。
雰囲気がおめでたすぎた。
それで、あれ?と私は思った。
そして、この人は、なんとかなるのではないか?
本当は、とても明るいオーラに包まれた人なのではないか?と思った。
何かをどこかで間違えただけなのではないか?
どこで狂った?
それからほどなくして、周りに外堀を埋められた私達は結婚した。
再会してから3ヶ月後だった。
私は腹を決めた。
今から3年間、彼のセッションをする。
毎晩。
そして、私は、本当に毎晩、夫のセッションをした。
実験の気分だった。
家族なので、やわらかな営業トークは一切ない。
彼が持っていた自己啓発の本は、邪魔なので全部売り払った。
3年後、私は、夫のセッションを仕事でした場合の金額を試しに計算した。
えらい金額になっていた。
マンション一部屋くらいなら買える金額。
その頃、夫には変化が現れていて、現実が動き始めていた。
彼をまとっていた負のオーラは消え始めていた。
そして、私は、セッションをやめた。
もうできることはないからだ。
私にできるのはここまでだ。
現実は、本人がなんとかするしかない。
それで、私は方針を変え、私はこうしたいああしたいと、自分のわがままを貫き通すことにした。
彼は、望む力が弱い、と私は思った。
ようするに控えめで謙虚な人である。
私は望む力が強い。
だから、私が、家庭については、望むパートを担当すると決めた。
やがて、子猫が欲しい!と叫んでいたら、夫は、子猫が飛びついてきたと、猫を連れて帰ってきた。
私は叫び、調達するのは夫らしい、と私は思った。
そこからさらに数年。
今年、私の父が、夫を見てしみじみ言った。
君はまるで別人のように、顔が明るくなったね。
人の雰囲気は変わるんやなあ。。。
友達や知り合いにたまに言われる。
あんな人が、よく、残っていたね。(独身でいたね)
彼は今、仕事が楽しくて仕方がない。
楽しそうに出かけて行く。
こんな楽天的な人はいるか?というくらい楽天的だ。
ここまで8年。
私達は、けんかはしない。
私のセオリーとしては。
気づき一瞬。定着に3ヶ月。
行動への定着には1年。
現実が大きく変わり始めるまでに3年。
どこかで狂った人生を立て直すには、それなりに時間が必要だ。
3年目までが一番しんどい。
ありきたりな言葉だけれど、諦めたらそこでゲームオーバーだ。
大事なことは、諦めないこと。
諦めたい気分になっても、やり続けること。
夫は、そこは素晴らしかった。
なぜなら、彼には、後がなかった。
そして、夫から私が学んだこと。
人を、人の持つ可能性を信じること。
今がどんなかだけで見るのではない、どんな人にも可能性があると信じられたこと。
人間を信じていい、と思えたこと。
誰の人生も、本人次第で、なんとかなると信じられたこと。
勉強で学んでいたことではあったが、体験を通して目で見れたことは大きかった。
なぜに、夫が毎晩セッションという苦行に耐えたかは、今でも謎である。
私がセッションを放り出さなかったかも謎である。
私達の結婚を、毒を持って毒を制するみたいな結婚、ほとんどの男性には私は毒、ただし、彼にだけは私は薬と言った人がいたが、この世にたった1人だけ、私でなければ救えない人がいるとしたら、それは夫だったかもしれない。