言葉の種類

続き。
また1人目。


どこそこにあるスターバックスに行きたいんです。(願い)
そこは家から離れているので、車で。(単なる説明)
でも、私は車を持ってないんです。(ほんとは、スターバックスに行くことと関係ない問題)
だから、今、スターバックスには行けないんです。(欲しいものが手に入らないことについて。つまり問題)
まずは、車が必要です。(スターバックスに行くこととほんとは関係ない別の願い。)


()の中は話している内容の種類。
何を話しているかではなく、どんな種類の話をしているか。


1人目の願いは、まず、車を持つという願いが叶い、それから、スターバックスに行くという願いが叶う。

2人目、3人目は、スターバックスに行く前に叶う必要がある願いはない。


今、1人目の文章を読むと、冷静に、こんなことはない、スターバックスと車がないことの間には関係がない、とわかるかもしれない。
でも、このスターバックスと車の関係みたいなことは、ちょいちょい頭の中で起きる。


それは、〇〇したい、でも、△△だからできない、という文章。
〇〇したいから、まず、△△する、という文章。

△△が、〇〇と本当に関係あるかどうかというと、ほとんどの場合は、〇〇と△△には関係がないことが多い。
または、△△は、単なるひとつの手段で、〇〇には別の手段でもたどりつけるけれど、△△しか方法がないと思い込んでる場合。


この文章の何がポイントなのかというと、多分だけれど、話し終わった後に残る可能性が高いのが、△△がない、という方だろうということ。

〇〇は置き忘れられる。

例の文章だと、会話のあとに、あ〜あ、車があればなあ、という印象が残る可能性が高いということ。


よく、願いをイメージするときは、まるでそれがかなったみたいに楽しい気分でね!と言われ、それは全くその通り。
その楽しい気分は、言葉も大きく影響する。
イメージするのが苦手な人ならなおのこと、言葉はものすごく影響する。


イメージは修正しやすい。
なぜなら、イメージには感覚が伴うことが多いから、不愉快な感覚は打ち消そうとほっておいても人はするからだ。

言葉だけの時、そこまで感覚は浮かばないことが多い。
だから気づきにくいのだけれども、言葉で語る時も、イメージと同じことは起きている。

そして、日常で、人が願いを表現するのは、ほとんどの場合が言葉での表現だ。


ただ話しているその言葉の種類が、もしも、願いを叶いにくくしていたら?


続く。