自分の言葉

続き。

その時、使う言葉は、自分の言葉。
願いを叶えるというその1点に話を絞るなら、借り物の美しい言葉は必要ない。
願いを叶えるために、新しい言葉は必要ない。

むしろ、その人がすでに知っているボキャブラリーが必要だ。
なぜならば、すでに知っているボキャブラリーは、体もそれを知っていることが多いからだ。

だから、もし、どこかで、これは素敵だという何かしらの文章を見つけて、それを自分の願いにしたいなら、それを自分の言葉に置き換える必要がある。
アフォメーション、という自分に宣言する言葉もあるが、それらも同じだ。

最高にそれらを機能させたいなら、自分の言葉にする必要がある。
祈りも同じだ。
決まった祈りの文句を、自分の言葉に置き換えた時、それは最大の威力を発揮する。 

なぜなら、その人の体が一番理解できるのは、その人自身の言葉だからだ。

願いを叶えるためには、体と心をひとつにして使う必要がある。
体と心をひとつにするために、言葉は媒介に使える。

ただし、自分の言葉、だ。

体験を伴わない、読んで覚えただけの言葉を体は理解しないから。
どのような素晴らしいありがたい書物であろうとも、それを自分のものにしたければ、自分の言葉で理解し直す作業と、それを元に行動してみる必要がある。

同じ本を読んで効果に差が出ることがあるのは、その2つをしたかしないかの違いだ。

体が理解するのは、体験を伴う自分の言葉だからだ。

そして、その人が願いを叶えるのは、その人の人生の中でだからだ。
誰かの人生の中に存在した、存在する言葉は、多いに参考にはなるけれど、願いの構築という1点に話を絞るときは、自分の言葉以上に自分を助けるものはない。


その上に、使う言葉の種類が関係してくる。


まだ続く。